CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
曹植
筆に心を預け、自由に生きた詩人
曹植は、字を子建といい、曹操と卞氏の子です。幼いころから文才に優れ、曹操に愛されました。曹丕と後継を争いましたが、勝手に宮中の門を通った司馬門事件などで曹操の怒りを買い、建安22年(217年)に曹丕が太子となります。曹丕が即位してからは封地を何度も移され、監視を受ける不遇の日々を送りました。「洛神賦」は黄初3年(222年)に作られたとされ、甄氏への思いを込めたという説もありますが、確かではありません。太和6年(232年)、陳王のまま病没しました。「七歩詩」の話は『演義』などで有名ですが、正史には見えません。経歴は『三国志』魏書 陳思王植伝をもとにしています。
曹操に愛された魏の詩人。曹丕との後継争いに敗れ、各地に移されながら筆を握り続けた。
THE WAY OF LIFE
曹植の生き方
理屈より先に、言葉と感情がほとばしる。曹植は、才気と繊細さ、そして型にはまらない自由さを併せ持つ人物像です。
思いを詩に託し、酒と筆に心を預けて生きた。決まりより感性を優先する姿を、規律の低さと表現の高さに重ねています。
持ち味と、その裏側
感情を言葉にして人の心を動かす力と、物事の本質を見抜く繊細さ。一方で、気ままに振る舞うと誤解を招きやすいため、立場に応じた慎重さも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
初平3年(192年)〜太和6年(232年)
字は子建。豫州沛国譙県の人。曹操と卞氏の子。
- 曹操の子。幼いころから文才に優れ、曹操に愛された。
- 建安16年(211年)に平原侯、建安19年(214年)に臨淄侯。曹丕と後継を争ったが、勝手に宮中の門を通った司馬門事件などで曹操の怒りを買い、建安22年(217年)に曹丕が太子になった。
- 曹丕が即位(220年)してからは、封地を何度も移され、監視を受ける不遇の日々を送った。
- 「洛神賦」は黄初3年(222年)、洛水のほとりで作られたとされる。曹丕の妃・甄氏への思いを込めたという説があるが、確かではない。
- 太和6年(232年)、陳王のまま病没した。兄の曹丕に七歩で詩を作らされた「七歩詩」は『演義』などで有名な話だが、正史には見えない。
主な出典
『三国志』魏書 陳思王植伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・善
宮中の決まりより、自分の気持ちに従って動く姿から、規律は裁量寄りとしています。
国を思う気持ちと、自分の才を生かしたい願いの間で揺れる姿から、動機は中間よりやや利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。