三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

曹幹

幼くして両親を失い、兄に庇われて生き延びた人

曹幹は、曹操の子として生まれ、三歳で母を、五歳で父を失ったと伝わる人物です。兄の曹丕は幹を厚く遇し、甥の明帝も、戒めの書は下したものの罪は赦しました。ここでは、頼れる人の庇護を受け取る素直さと、長く封地を保った慎みを、性格を読み解く手がかりとしています。

曹操の子で、趙王。幼くして両親を失い、兄の曹丕に託されて育った。のち甥の明帝に戒められたが罪は赦され、261年まで趙王として生きた。

THE WAY OF LIFE

曹幹の生き方

頼れる人を幼くして失い、兄を「阿翁」と呼んで慕った。曹幹は、人との縁を素直に受け取る人物像です。

禁を犯したと奏上されても、先帝の顧命と恩礼のもとで赦され、その後も長く封地を保った。規律と表現の高さに、その慎みと温かさを重ねています。

持ち味と、その裏側

庇ってくれる人との縁を保つ素直さと、戒められたあとも長く地位を保つ慎み。一方で、周囲の目が厳しい立場だったため、近づく人の選び方に気を配ることも大切です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

建安20年(215年)頃〜景元2年(261年)

豫州沛国譙県の人。曹操の子。一名は良。

  1. 曹操の子。『魏略』は一名を良とし、陳妾の子だと記す。建安20年(215年)ごろに生まれ、高平亭侯に封ぜられた。22年に頼亭侯、続いて弘農侯に改封された。
  2. 『魏略』は、「生まれて陳氏が死んだ」ため、太祖が王夫人に養わせたと記す。同じ注の遺令は「三歳で母を失い」と言い、二つは合わない。『太平御覧』が引く『魏略』も同じ二つを併記しており、食い違いは解けていない。陳寿の本文は、幹の母を王昭儀とし、太祖に寵愛され、文帝が後継になるときに力があった、と記す。王昭儀と、養育者の王夫人が同じ人かは、原史料では確かめられていない。
  3. 曹操が危篤になると、『魏略』によれば、太子に「この子は三歳で母を失い、五歳で父を失う。お前に託す」と遺言した。太子はこれ以降、幹を親しく待遇し、ほかの弟より厚く遇した。
  4. 幹は幼く、いつも文帝を「阿翁」と呼んだ。文帝は「私はお前の兄にすぎない」と返し、その様子を哀れんで、いつも涙を流した(『魏略』)。
  5. 黄初2年(221年)に燕公、3年に河間王、5年に楽城県王、7年に鉅鹿王と改封され、太和6年(232年)に趙王となった。本文は、文帝が臨終に遺詔を残したため、明帝(曹叡)は常に恩を加えた、と記す。
  6. 青龍2年(234年)、幹が賓客と私的に交際したと有司に奏上された。明帝は璽書で戒めたが、幼い頃から恭順で、先帝の顧命を受けた身であるとして、罪を赦すよう有司に詔した。璽書は、楚王彪・中山王衮が同じ禁を犯したことや、東平王徽が属官に役人を殴らせた件にも触れ、幹を「叔父」と呼ぶ。
  7. 景初・正元・景元の間にたびたび邑を加えられ、合わせて五千戸を領した。景元2年(261年)8月に薨じた(『三国志』三少帝紀)。
  8. 同じ時代、二十歳年上の異母兄の楚王彪は、嘉平元年(249年)、王凌らが擁立を謀った事件で璽書による叱責を受け、自殺した。幹とは別の道をたどった。
  9. 『三国志』武文世王公伝の評は、魏の王公について、国土の名はあっても社稷の実はなく、禁防が隔てて牢獄のようだ、と記す。曹幹は、その仕組みの中で長く生きた一人である。

主な出典
『三国志』魏書 武文世王公伝(趙王幹の項と、裴松之注に引く『魏略』)、魏書 三少帝紀

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

禁令に触れたと記されるのは一度で、その後も恩を加えられ続けた姿から、規律は秩序寄りとしています。

庇われた立場で、自分の利益を求めた記録が見えないため、動機は中間に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。