CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
文鴦
一騎で敵陣を駆け抜けた、若き猛将
文鴦は、字を次騫といい、豫州譙郡譙県の人で、魏の将・文欽の子です。正元2年(255年)に父が毌丘倹とともに挙兵した際は18歳で、軍中随一の勇将として知られていました。わずかな騎兵で司馬師の陣へ夜襲をかけ、敵を大いに動揺させて、父の軍を逃れさせます。甘露2年(257年)の諸葛誕の乱では、父が諸葛誕に殺されたため、司馬昭に降りました。晋の成立後は涼州の異民族討伐などで名を上げましたが、永平元年(291年)、賈皇后のクーデターの混乱のなかで処刑されます。単騎で七度出入りする武勇伝は、『演義』の脚色です。経歴は『三国志』魏書 毌丘倹伝と『晋書』をもとにしています。
魏の将・文欽の子。18歳で司馬師の陣へ夜襲をかけ、のち晋に仕えた。
THE WAY OF LIFE
文鴦の生き方
迷う前に、まず動く。文鴦は、年若くして敵陣へ切り込む度胸と、状況を一気に変える勢いを持つ人物像です。
危機に追い込まれても退かず、前へ出ることで道を開こうとする。挑戦と決断の高さに、その速さを重ねています。
持ち味と、その裏側
恐れず切り込む度胸と、局面を一気に動かす決断の速さ。一方で、勢いのまま突き進みやすいため、周囲の動きや後ろ盾を確かめることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
237年ごろ〜永平元年(291年)
字は次騫。豫州譙郡譙県の人。父は文欽。
- 正元2年(255年)、父の文欽が毌丘倹とともに挙兵。当時18歳の文鴦は、軍中随一の勇将として知られていた。
- 司馬師の陣へ夜襲をかけ、わずかな騎兵で敵を大いに動揺させ、父の軍を逃れさせた。
- 甘露2年(257年)の諸葛誕の乱では、父とともに呉の将として救援に向かうが、父が諸葛誕に殺され、司馬昭に降った。
- 晋の成立後は平虜護軍などを務め、咸寧3年(277年)には涼州の異民族討伐で名を上げた。のち東夷校尉に任じられたが、免職になった。
- 永平元年(291年)、賈皇后のクーデターの混乱の中で、讒言により一族とともに処刑された。『演義』にある単騎で七度出入りする武勇伝は、正史には見えない脚色。
主な出典
『三国志』魏書 毌丘倹伝、『晋書』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:真なる中立
状況に応じて自分の判断で動く姿から、規律は中間としています。
父や家の命運を背負って動く姿から、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。