CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
文聘
主君への義を貫き、江夏を守り抜いた将
文聘は、字を仲業といい、荊州南陽郡宛県の人です。劉表に仕え、大将として北方の守りを任されました。208年に劉表が亡くなり、曹操が南下して劉琮が降伏すると、遅れて曹操のもとを訪れ、「主君の州を守れず、恥ずかしくて来られなかった」と言って涙を流します。曹操は「真の忠臣だ」と言って礼遇し、江夏太守に任じました。尋口で関羽の軍を破り、226年に孫権が5万の兵で石陽を攻めたときは、これを撃退しています。正史では、敗れた記録のない将とされます。『演義』には、史実と異なる場面があります。経歴は『三国志』魏書 文聘伝をもとにしています。
劉表に仕えた将。劉琮の降伏後に曹操に帰順し、江夏を守って関羽や孫権の侵攻を退けた。
THE WAY OF LIFE
文聘の生き方
言葉は少なく、守ると決めた場所を守り通す。文聘は、揺るがない忠義と、堅実な守りの技量を併せ持つ人物像です。
主を替えても、恥じる心は忘れなかった。規律と信条の高さに、その義理堅さを重ねています。
持ち味と、その裏側
守るべき城を最後まで守り抜く粘り強さと、旧主にも新主にも筋を通す誠実さ。一方で、攻めには出にくく、目立つ功績が少ないため、評価されにくくなります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(曹叡の時代に没したと推定される)
荊州南陽郡宛県の人。字は仲業。
- 劉表に仕え、大将として北方の守りを任された。
- 208年に劉表が亡くなると、子の劉琮に仕えた。曹操が南下して劉琮が降伏したあと、文聘は遅れて曹操のもとを訪れ、「主君の州を守れず、恥ずかしくて来られなかった」と言って涙を流した。曹操は「真の忠臣だ」と言って礼遇し、江夏太守に任じて、北方の守りを任せた。
- 長坂では曹操に従って劉備を追った。のち、尋口で関羽の軍を破り、延寿亭侯に進んだ。樊城の戦いでも、関羽の補給路を断つ働きをしたとされる。
- 222年、曹丕が呉へ攻め込む三方面作戦に参加して、後将軍・新野侯となった。
- 226年、孫権が5万の兵で石陽を攻めると、これを撃退した。正史では、敗れた記録のない将とされる。
- 『三国志演義』では、脇役として登場し、魏延との一騎打ちや赤壁での敗北など、史実とは異なる場面が描かれる。
主な出典
『三国志』魏書 文聘伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
命令と持ち場を守り抜く姿から、規律は秩序寄りとしています。
旧主への義を忘れず、江夏の民と兵を守った姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。