CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
文欽
曹爽に重んじられ、魏を離れて呉に走り、味方に斬られた猛将
文欽は、字を仲若といい、豫州譙郡譙県の人で、文鴦の父、曹爽とは同郷です。性格は荒く、礼を欠いて人望がなかったと伝わり、王淩に貪欲で残忍だと弾劾されましたが、曹爽が同郷のよしみで調べないまま任地に戻し、冠軍将軍に進めました。249年に曹爽が倒されると、懐柔のために前将軍に昇進し、揚州刺史になります。正元2年(255年)、毌丘倹とともに寿春で挙兵しましたが、楽嘉で夜明けに司馬師の大軍を見て戦意を失い、大敗して呉へ亡命しました。呉では孫峻に信任され、257年に諸葛誕の乱で寿春に入城しますが、翌年のはじめ、作戦をめぐる対立から諸葛誕に殺されました。経歴は『三国志』魏書 毌丘倹伝・諸葛誕伝をもとにしています。
魏の将。文鴦の父。同郷の曹爽に厚遇され、司馬氏の世になって毌丘倹とともに挙兵した。楽嘉で敗れて呉に走り、のち諸葛誕の乱の最中、籠城する寿春で諸葛誕に殺された。
THE WAY OF LIFE
文欽の生き方
気性が荒く、上官を侮ったと伝わる。文欽は、武勇は確かでも、人と折り合うのが苦手な人物像です。
曹氏への恩を理由に挙兵しながら、不満も抱えていた。規律を低く、動機を中間に置いています。
持ち味と、その裏側
弓馬と武勇の強さと、前線で兵を動かす力。魏でも呉でも将として任された事実がある。一方で、粗暴さや自尊心の高さが、味方にも敵にも嫌われる原因になった人物です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年未詳〜太平3年(258年)
豫州譙郡譙県の人。字は仲若。父は文稷。子に文鴦・文虎。曹爽とは同郷。
- 豫州譙郡譙県の人で、字は仲若。父の文稷は曹操に仕えた武人だった。曹爽とは同郷にあたる。
- 建安24年(219年)、魏諷の反乱に関わる発言をして連座し、処刑されかけた。曹操は、父の功績を理由に赦した。
- 性格は荒く、礼を欠き、人望がなかったと伝わる。歴任した官職で上官を侮り、官吏の決まりにも従わなかったため、憎まれて何度も弾劾された。曹叡はその弾劾を抑えたという。ただし、これらは乱を起こした人物について書かれた記述である点に注意が要る。
- 淮南の牙門将から、廬江太守・鷹揚将軍に進んだ。曹芳の時代には、王淩から貪欲で残忍だと弾劾され、一度は都へ呼び戻された。しかし曹爽は、同郷のよしみで詳しい調べをしないまま任地に戻し、冠軍将軍に進めた。文欽は増長して尊大な態度をとり、勇壮さを誇って名を得たと伝わる。
- 249年に曹爽が司馬懿に倒されると、懐柔のために前将軍に昇進し、諸葛誕の後任として揚州刺史になった。
- 250年、呉に偽の降伏の使者を送ったが、呉の朱異に見破られた。253年には、毌丘倹や張特らとともに、合肥新城で諸葛恪の軍を迎え撃った。
- 254年、司馬師が李豊・夏侯玄を処刑し、曹芳を廃位して曹髦を立てると、毌丘倹と文欽は、司馬師の専横を恐れて結んだ。文欽には、報告した捕虜の数や戦功が認められなかった不満もあったと伝わる。
- 正元2年(255年)正月、二人は寿春で挙兵した。毌丘倹は項城を守り、文欽は城外で遊軍となった。文欽は楽嘉で鄧艾の軍を襲おうとしたが、夜のうちに司馬師の主力が来ていた。子の文鴦が夜襲をかけて奮戦したが、夜明けに魏軍の大軍を見た文欽は戦意を失って退き、追撃を受けて大敗した。
- 寿春はすでに諸葛誕に押さえられており、文欽は呉へ亡命した。呉では、朱異ら諸将に憎まれたが、実権を握る孫峻には信任され、鎮北大将軍・幽州牧・譙侯となった。256年、孫峻に魏への北伐を勧めて、先遣隊を率いた。
- 孫峻の死後、孫綝が実権を継ぐと、呂拠が孫綝を非難する上奏をした。文欽は一度は同調したが、のち孫綝の命令で呂拠を滅ぼしたと伝わる。
- 太平2年(257年)、諸葛誕が寿春で司馬昭に叛くと、文欽は全端・全懌・唐咨らと入城した。司馬昭の包囲は厚く、呉の後続は途絶えた。魏にいた頃からの不和もあって、城内の疑いは深まり、翌258年のはじめ、作戦をめぐる対立から怒った諸葛誕に殺された。魏の援軍の受け入れを文欽が拒んだから、という別の説もある。
- 文鴦と文虎はのちに魏へ降り、司馬昭は降伏者への恩徳を示す方針をとった。文欽の遺体は、故郷に葬ることが許された。
主な出典
『三国志』魏書 毌丘倹伝(裴松之注に引く『魏書』『魏氏春秋』『魏末伝』を含む)・諸葛誕伝、呉書 朱異伝
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
上官を侮り、法に従わなかったと記録されるため、規律は最も低く置いています。性格を悪く書く記述は、乱を起こした側の人物に向けられたものである点に注意が要ります。
曹氏への恩と、自分の戦功が認められない不満の両方が記録に残るため、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。