三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

敬哀皇后

張飛の長女。母は夏侯氏。劉禅の最初の皇后として十四年を務めた人

敬哀皇后は、蜀の名将・張飛の長女で、劉禅の最初の皇后です。母は、曹操の将・夏侯淵の姪にあたる夏侯氏で、張飛が拾って妻にしたと伝わります。章武元年(221年)に太子妃となり、建興元年(223年)に皇后に立てられ、建興15年(237年)に没しました。経歴は『三国志』蜀書 二主妃子伝などをもとにしています。

涿郡の人。名は史書に伝わらない。蜀の車騎将軍・張飛の長女で、母は夏侯氏。『魏略』によると、夏侯氏は夏侯覇の従妹にあたり、建安5年(200年)に十三、四歳のとき、郷里で薪を拾いに出たところを張飛に捕らえられた。張飛は良家の娘と知って妻とし、その間に生まれたのが敬哀皇后だという。章武元年(221年)、太子だった劉禅の妃となり、劉禅が即位した建興元年(223年)に皇后に立てられた。建興15年(237年)に亡くなり、南陵に葬られた。諡は敬哀。妹が同じ年に貴人となり、翌年に皇后(張皇后)に立てられた。

THE WAY OF LIFE

敬哀皇后の生き方

敵だった魏の将の家の血と、蜀の猛将・張飛の血を、ともに受けた人。母の縁で、夏侯覇が蜀へ来た折には、劉禅が「夏侯氏の甥です」と引き合わせたと伝わる。

皇后の座にいたのは十四年。史書にはその間の出来事がほとんど記されていない。静かな年月だったのか、記すほどのことがなかったのか、それも分からない。

持ち味と、その裏側

史料が乏しく、人柄を伝える記事はほとんど残っていない。確かなのは、張飛の長女として、劉禅の最初の后となり、十四年の間その座にいたこと。父の猛さよりも、母の家との縁が、のちに語られる材料になった。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜237年

涿郡の人。父は張飛、母は夏侯氏。名は史書に伝わらない。

  1. 蜀の車騎将軍・張飛の長女。母は夏侯氏で、『魏略』によれば夏侯覇の従妹、夏侯淵の姪にあたる。
  2. 建安5年(200年)、十三、四歳だった夏侯氏は、郷里で薪を拾っているところを張飛に捕らえられた。張飛は良家の娘と知って妻とし、のちに生まれた娘が皇后になったと『魏略』は伝える。夏侯淵が亡くなった際には、張飛の妻が願い出て、その遺骸を葬ったという。
  3. 章武元年(221年)、太子だった劉禅の妃となった。
  4. 建興元年(223年)、劉禅が即位すると、皇后に立てられた。
  5. 建興15年(237年)、亡くなり、南陵に葬られた。諡は敬哀皇后。
  6. 妹が同じ年に貴人となり、翌年(延熙元年)の正月に皇后に立てられた。これが張皇后である。
  7. のちに夏侯覇が魏から蜀へ来たとき、劉禅は自分の子を指して「これは夏侯氏の甥です」と引き合わせたと伝わる。
  8. 小説『三国志演義』では、劉琰の妻を宮中に引き止めて、劉琰が妻と劉禅の密通を疑う騒動の発端になる皇后として描かれる。しかし『三国志』劉琰伝では、史実で劉琰の妻を引き止めたのは穆皇太后(呉氏)である。

主な出典
『三国志』蜀書「二主妃子伝」(後主敬哀皇后伝)。母については『魏略』(『三国志』夏侯淵伝の裴松之注に引用)。経歴は Wikipedia の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

皇后としての立場を保ち続けたことから、規律は秩序寄りに置いています。

本人の意図を伝える記事がほとんどないため、動機は中立に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。