CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
戯志才
世間の非難を受けながら、荀彧に推されて曹操の謀士となった人
戯志才は、後漢末の潁川の人で、荀彧の推薦で曹操に仕えた謀士です。曹操の創業期に、軍事や国の大事の計画に加わり、大きく信頼されましたが、早くに亡くなりました。残る記録は短く、本名も、何を献策したかも伝わりません。ここでは、記録の少なさを踏まえた暫定の値を置いています。本人の内心を断定するものではありません。
潁川郡の人。名は伝わらず、「志才」は字かもしれない。礼法にとらわれない行いで世間から非難されたが、荀彧に策謀の士として推されて曹操に仕え、「籌画士(はかりごとを立てる人)」として重んじられた。早くに亡くなり、そのあとに荀彧が推したのが郭嘉である。
THE WAY OF LIFE
戯志才の生き方
世間の評判より、策を立てる才を買われた人。戯志才は、礼法に合わなくても、働きで認められた人物像です。
具体的な献策は伝わらない。構想と挑戦を高めに、統率を低めに置き、策で支える立場に重ねています。
持ち味と、その裏側
謀略の才で、曹操に重く用いられたこと。世間の評判を気にせず、自分の才で道を開いたところ。一方で、事績の記録がほとんどなく、人柄の細部は伝わらない人物です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年未詳〜没年未詳(郭嘉が推薦される前に亡くなった)
潁川郡の人(現在の河南省禹州市の一帯)。字は志才とされるが、本名は不明。
- 潁川郡の人。本名は伝わらず、「志才」は字だった可能性がある。生年も伝わらない。
- 若いころは、世俗の礼法にこだわらない行いで、世間から非難や皮肉を受けた。この点は、裴松之注に引く『荀彧別伝』が記す。同書は、荀彧が人を選ぶとき、一つの基準にこだわらず、戯志才や郭嘉のように世間の悪評を受けた者も、智謀を理由に推挙した、と書いている。
- 荀彧は、曹操のために策謀の士を探し、戯志才を推した(荀彧伝)。『後漢書』の荀彧伝も、荀彧が曹操に推した人物の一人として、戯志才の名を挙げている。
- 郭嘉伝は、戯志才を「籌画士」と呼び、曹操はたいへん器量を認めた、と記す。「籌画」は、策をめぐらせて計画を立てることを指す。
- 戯志才は早くに亡くなった。曹操は荀彧に手紙を送り、「志才が亡くなってからは、共に事を計れる者がいない。汝・潁の地には、もとより奇士が多い。誰が志才の後を継げるだろうか」という趣旨のことを述べた(郭嘉伝)。
- これを受けて荀彧は、郭嘉を推した(荀彧伝・郭嘉伝)。曹操の幕下に郭嘉が加わるきっかけは、戯志才の死にあった。
- 戯志才には、単独の伝がない。どんな策を立て、何の戦いにどう関わったかは、記録に残っていない。後世の創作などで語られる身分や事跡は、正史に裏づけがあるものではない。
主な出典
『三国志』魏書 荀彧伝・郭嘉伝、裴松之注に引く『荀彧別伝』、『後漢書』鄭孔荀列伝
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
礼法に合わない行いで非難されたと伝わるため、規律は裁量寄りに置いています。ただし、これは『荀彧別伝』の短い記述に基づく暫定の値です。
仕えた動機や、何を目指したかを示す記録がないため、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。