CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
成公英
散り散りの中でただ一人韓遂に従い、曹操に「主が生きていれば来なかった」と泣いた金城の腹心
成公英は、成公が姓、英が名の、金城郡の人です。後漢の中平年間の末から、涼州の韓遂の腹心として仕えました。曹操に敗れた韓遂の部下が散り散りになったとき、ただ一人そばに残り、蜀へ逃れようとする韓遂を止めて、羌の地で再起する策を立てます。韓遂の死後に曹操に降ると、軍師に取り立てられましたが、狩りの席で「主が生きていれば、ここへは来ませんでした」と涙ながらに答え、かえって敬われました。のちに張既を助けて河西の反乱を鎮めています。経歴は『三国志』張既伝の注に引く『魏略』『典略』をもとにしています。
姓は成公、名は英。金城郡の人。中平年間の末から韓遂に従い、腹心となった。211年、韓遂は渭南で曹操に敗れて金城へ退き、のち夏侯淵に破られて湟中へ逃れた。部下は散り散りになり、成公英だけが従った。韓遂の娘婿の閻行は、韓遂を殺して降ろうと夜襲をかけたが果たせず、家族を連れて曹操のもとへ去った。韓遂が「親戚に背かれ、人も減った。羌の地から西南の蜀へ行こう」と言うと、成公英は「兵を挙げて数十年、いま敗れたとはいえ、自分の門を捨てて人に頼る道理がありましょうか」と止めた。曹操は遠くまで来られず、夏侯淵の兵は追うにも足りず長くは留まれないと見て、羌の地で休み、旧知を呼び集め、羌・胡と結べば、まだ事を成せると説いた。韓遂はこれに従い、男女数千人とともに、恩をかけていた羌のもとに守られた。夏侯淵が引き揚げたあと、韓遂は羌・胡数万を集めて閻行を攻めようとしたが、その最中に没した。成公英は曹操に降り、軍師となって列侯に封じられた。延康・黄初の頃、河西で反乱が起こると、参軍として涼州刺史の張既を助けた。のち病で没した。
THE WAY OF LIFE
成公英の生き方
曹操の狩りに従ったとき、三頭の鹿が前を走り過ぎた。曹操に射よと命じられ、三発三中、みな弦の音とともに倒れた。曹操は手を打って「韓文約(韓遂)のためには節を尽くせても、わしのためにはできぬのか」と言った。成公英は馬を下りてひざまずき、「明公を欺きはしません。もし私の本当の主人が生きていれば、ここへは来ませんでした」と答えて、むせび泣いた。曹操はその旧主を思う心をほめ、いっそう親しく敬った。
張既が盧水胡の数千騎と顕美で向き合ったとき、敵は大風に乗じて陣を焼こうとし、兵はみな恐れた。張既は夜のうちに精兵三千を伏せ、参軍の成公英に千余騎を率いて挑ませ、わざと退かせた。胡の騎兵が先を争って追ってきたところを、伏兵が後ろを断ち、前後から攻めて大いに破った。
持ち味と、その裏側
変わらない忠義と、戦況を読む目。部下が散った湟中でただ一人韓遂に従い、「曹操は遠くまで来られない。夏侯淵は追うにも留まるにも足りない」と見て、羌の地での再起を説いた。韓遂はこれで息を吹き返し、羌・胡数万を集めるまでになった。鹿を三発三中で射止める弓の腕もあり、張既の河西平定ではおとりの騎兵を率いて大勝につなげた。魚豢の『魏略』は、成公英を「純固伝」に収め、節を守り通した人々の一人として描いている。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳
金城郡の人。姓は成公、名は英。
- 中平年間の末: 韓遂に従い、腹心となる。
- 211年: 韓遂は馬超らとともに渭南で曹操に敗れ、金城へ退く。
- 214年頃: 韓遂は夏侯淵に破られ、湟中へ逃れる。部下は散り、成公英だけが従った。
- 湟中で: 韓遂の娘婿・閻行が夜襲をかけたが果たせず、曹操のもとへ去る。韓遂は「困った時の禍は、婚姻から起こるものか」と嘆いた。
- 再起の策: 蜀へ逃れようとする韓遂を止め、羌の地で休んで旧知と羌・胡を集めるよう説く。韓遂は男女数千人とともに羌の地へ移り、羌に守られた。
- その後: 夏侯淵が引き揚げると、韓遂は羌・胡数万を集めて閻行を攻めようとしたが、その最中に没した。
- 曹操のもとで: 曹操に降り、軍師となって列侯に封じられる。狩りの席で、旧主を思う言葉を述べて泣き、敬われた。
- 221年頃: 河西で盧水胡が反乱を起こす。参軍として涼州刺史の張既を助け、千余騎を率いて偽って退き、伏兵の大勝につなげた。斬首・捕虜は万を数えた。
- のち: 病で没した。
- 伝の扱い: 魚豢の『魏略』では「純固伝」に、脂習・王脩・龐淯・文聘・郭憲・単固とともに収められる。陳寿の『三国志』に本伝はなく、裴松之が張既伝の注に収めた。
主な出典
『三国志』魏書「劉司馬梁張温賈伝」(張既伝)と、その注に引く『魏略』『典略』。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
国の法や命令より、仕えた人への義を重んじて行動したことから、規律は中ほどに置いています。
敗れて誰もいなくなった主君のそばに残り、新しい主に厚遇されても前の主への思いを隠さなかったことから、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。