CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
徐盛
知恵と胆力で、一軍を守る実戦派
徐盛は、字を文向といい、徐州琅邪郡莒県の人です。戦乱を避けて呉へ移り、孫権が跡を継ぐと、別部司馬として兵500人を預かりました。建安20年(215年)の合肥では先陣を務めて負傷し、建安22年(217年)の濡須口では蒋欽と力を合わせて曹操軍を退けています。黄武3年(224年)、曹丕が長江に迫ると、建業の江岸に数百里にわたって柵と葦で偽の城壁を築き、船を浮かべて大軍に見せかけました。魏軍はそれを見て引き返したと伝わります。経歴は『三国志』呉書 徐盛伝をもとにしています。
呉の将。曹丕の大軍を前に、川沿いに偽の城壁を並べて引き返させた。
THE WAY OF LIFE
徐盛の生き方
正面からぶつかるだけでなく、見せ方と仕掛けで相手の動きを変える。徐盛は、冷静な読みと、実行に移す胆力を併せ持つ人物像です。
大軍を前にしても落ち着いて準備を整える。構想と統率、規律の高さに、その手堅さを重ねています。
持ち味と、その裏側
状況を読んで先手を打つ工夫と、一度決めたら実行し切る胆力。一方で、準備に自信がある分、想定外の出来事に弱くなりやすいため、余裕を持たせることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜呉の黄武年間以降)
字は文向。徐州琅邪郡莒県の人。
- 戦乱を避けて呉へ移り、孫権が跡を継ぐと別部司馬となって兵500人を預かった。
- 柴桑県長として、黄祖の侵攻を防いだ。
- 建安20年(215年)の合肥の戦いで先陣を務めて負傷し、建安22年(217年)の濡須口では蒋欽と力を合わせて曹操軍を退けた。
- 黄武3年(224年)、曹丕が長江に迫ると、建業の江岸から数百里にわたって、柵と葦で偽の城壁を築き、船を浮かべて大軍に見せかけた。魏軍はそれを見て引き返した。
- 『演義』では丁奉と組んで戦うことが多く、赤壁の戦いでの活躍も加えられている。
主な出典
『三国志』呉書 徐盛伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
持ち場と軍の決まりをきちんと守って動く姿から、規律は秩序寄りとしています。
主君と国を守る使命を軸に動く姿から、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。