CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
徐庶
剣を置き、母のために去った書生
徐庶は、字を元直といい、豫州潁川郡長社県の人です。寒門の出で、若いころは剣を好み、友人の仇討ちに手を貸して捕らえられましたが、仲間に救い出されました。これを機に剣を捨て、司馬徽に学びます。新野で劉備に会って仕え、諸葛亮を推薦して、三顧の礼のきっかけをつくりました。曹操の南下で母が捕らえられると、曹操のもとへ移り、魏では右中郎将・御史中丞などを務めます。『演義』では、母の偽の手紙で呼び寄せられ、曹操のために一言も策を出さない誓いを立てます。経歴は『三国志』諸葛亮伝、『魏略』、『三国志演義』をもとにしています。
若いころは剣と義侠に生き、のちに学問へ転じて劉備に仕えた軍師。母のために曹操のもとへ去った。
THE WAY OF LIFE
徐庶の生き方
理屈より先に、情と義で動いてきた。徐庶は、剣から学問へと生き方を変える柔らかさと、人の恩に報いる誠実さを持つ人物像です。
大切な人のために、自分の望む場所を離れる決断もできる。迷いを抱えながらも、選んだ道を静かに歩く姿を重ねています。
持ち味と、その裏側
人の才を見抜く目と、情に厚い誠実さ。一方で、板挟みになると一人で抱え込みやすいため、迷いを早めに言葉にして相談することも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜魏の明帝期)
字は元直。本名は福。豫州潁川郡長社県の人。
- 寒門の出で、若いころは剣を好み、義侠心が強かった。友人の仇討ちに手を貸して捕らえられたが、仲間に救い出された。
- この経験から剣を捨て、学問に励み、司馬徽に学んだ(『魏略』)。
- 新野で劉備に会い、その才を認められて仕えた。劉備に諸葛亮を推薦し、「会いには行けても、呼びつけることはできない人」と告げて、三顧の礼のきっかけをつくった。
- 曹操の南下で劉備が敗れ、母が曹操軍に捕らえられると、動揺して曹操のもとへ移った。
- 魏では右中郎将・御史中丞などを務め、明帝のころに病没した。『演義』では母の偽の手紙で呼び寄せられ、曹操のために一言も策を出さない誓いを立てる。
主な出典
『三国志』蜀書 諸葛亮伝、『魏略』、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:中立・善
決められた型より、そのときの情と判断で動く姿から、規律は中間としています。
母を思って去った姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。