CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
徐夫人
徐庶の母。曹操の捕虜となり、演義では自縊した女性
徐夫人は、徐庶の母で、姓名も生没年も伝わっていません。『三国志』諸葛亮伝は、劉備が樊城にいたとき、徐庶とともに南へ向かい、曹操に追われて「庶の母を獲た。庶は先主に辞した」と記すのみで、史書に残るのは、捕虜となった事実だけです。『三国志演義』では、程昱の計略で母が許昌に監禁されたと偽られ、徐庶が曹操に仕えます(第36回)。さらに母は、曹操を漢の賊として仕えを拒み、息子の変節を知って自縊します(第37回)。この自縊は『演義』による描写で、史書にはありません。
徐庶の母。姓名も生没年も伝わらない。『三国志』諸葛亮伝は、先主が樊城にいた時、徐庶とともに南へ向かい、曹公に追われて「庶の母を獲た。庶は先主に辞した」と記すのみ。史書に残るのは、捕虜となった事実だけである。『三国志演義』では、程昱の計略で母が許昌に監禁されたと偽られ、徐庶が曹操に仕える(第36回)。さらに母は曹操を漢の賊として仕えを拒み、息子の変節を知って自縊する(第37回)。この自縊は演義による描写で、史書にはない。
THE WAY OF LIFE
徐夫人の生き方
史書では、母の心の内は語られない。その沈黙が、後世の物語の余地になった。
演義では、息子の変節を知った母が迷わず命を絶つ。忠孝を示す象徴として描かれたが、これは史書の記述ではない。
持ち味と、その裏側
演義に描かれた、信条を貫いて身を処す強い意志。史書には事績がなく、評価の材料は少ない。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末〜三国)
徐庶と同じ潁川郡の人と思われるが、史料に明記はない
- 生年不詳: 徐庶の母として生まれる。
- 208年(建安13年): 曹操が荊州に進軍。劉備が南へ撤退する途中、母が曹軍に捕らえられる(『諸葛亮伝』)。
- 演義: 程昱の計略で、母が許昌に監禁されたと偽られる。徐庶は劉備のもとを去り、曹操に仕える(第36回)。
- 演義: 母は曹操を漢の賊として仕えを拒み、息子の変節を知って自縊する(第37回)。史書には記されない。
主な出典
『三国志』蜀書 諸葛亮伝(裴松之注を含む)。『三国志演義』第36〜37回。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:中立・善
規律3のため中立。曹操への反発と命を絶つ行為は、演義による極端な信念の描写である。
演義では、母は曹操への仕えを拒んだ信条によって命を絶つ。史書には母の心境が残らないため、動機の評価は演義の描写に基づきます。動機は高く善として扱います。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。