CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
張邈
曹操が家族を託した親友にして、兗州で曹操を裏切った侠の太守
張邈は、字を孟卓といい、兗州東平国寿張の人です。若い頃から侠気で知られ、家財を傾けて困窮した人を救ったので、多くの士が慕って集まりました。名士の「八厨」の一人に数えられ、曹操・袁紹とは若い頃からの友でした。陳留太守として反董卓の兵を挙げ、袁紹に殺せと言われた時には曹操がかばいます。曹操は徐州へ出陣する際、家族に「戻らなければ孟卓を頼れ」と言い残したほどでした。しかし興平元年(194年)、陳宮らと組んで呂布を迎え、曹操の兗州をほぼ奪います。翌年、敗れて袁術のもとへ救援を求めに向かう途中、部下に殺されました。経歴は『三国志』魏書 呂布張邈臧洪伝をもとにしています。
侠気で知られた陳留太守。曹操の親友で、反董卓の兵を共に挙げた。のちに陳宮・弟の張超と呂布を兗州に迎えて曹操に背き、敗れて部下に殺された。
THE WAY OF LIFE
張邈の生き方
困っている人を見捨てず、言うべきことは盟主にも言う。張邈は、侠気と正義感で人を惹きつけた人物像です。
親友を信じきれず、恐れから大きな賭けに出た。信条の揺らぎと、挑戦の高さに、その最後の選択を重ねています。
持ち味と、その裏側
家財を惜しまず人を救う器量と、盟主の袁紹にも正面から意見する率直さ。多くの士が彼のもとに集まりました。一方で、袁紹との確執から曹操にまで疑いを向け、陳宮の誘いに乗って親友を裏切ったことで、一族を滅ぼす結果になりました。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜興平2年(195年)
兗州東平国寿張県の人。字は孟卓。弟に広陵太守の張超がいる。
- 若い頃から侠気で知られ、困っている人を救うために家財を傾けても惜しまず、多くの士が彼のもとに集まった。度尚・胡母班らとともに「八厨」(財で人を救う者)の一人に数えられ、「海内の厳恪、張孟卓」と言われた。曹操・袁紹とは、若い頃からの友だった。三公の府に招かれ、成績優秀で騎都尉となった。
- 中平6年(189年)、董卓が朝廷を握ると、周毖・伍瓊らの推薦で陳留太守に任じられた。初平元年(190年)、袁紹・袁術・橋瑁・鮑信らとともに関東で兵を挙げた。張邈は酸棗で、弟の張超、劉岱・孔伷・橋瑁らと盟を結び、張超の功曹だった臧洪の才を知って、諸将に引き合わせた。
- 曹操が董卓を追って西へ向かうと、張邈は部将の衛茲に兵をつけて従わせたが、汴水で徐栄に敗れ、衛茲は戦死した。曹操が、酸棗で進まない諸将を責めて策を説いても、張邈らは従わなかった。
- 盟主となった袁紹が驕った態度を見せると、張邈は正面からこれを責めた。怒った袁紹は曹操に張邈を殺させようとしたが、曹操は「孟卓は親友だ。是非があっても許すべきだ。天下が定まらないうちに、仲間うちで争うべきではない」と退けた。これを知った張邈は、いっそう曹操に感謝した。袁紹に地を譲った韓馥も、のちに張邈のもとへ身を寄せたが、袁紹の使者が張邈に耳打ちするのを見て、自分を殺す相談だと思い、厠で自害した。
- 初平4年(193年)、曹操は陶謙を討つにあたり、家族に「私が戻らなければ、孟卓を頼れ」と言い残した。無事に戻った曹操と張邈は、顔を合わせて涙を流したという。
- 一方、袁紹のもとを去った呂布が張邈のところに立ち寄ったとき、二人は手を取り合って誓いを交わした。これを聞いた袁紹は深く恨み、張邈は、いずれ曹操が袁紹のために自分を討つのではないかと恐れるようになった。曹操が名士の辺譲を殺したことも、兗州の士人たちの反発を招いていた。
- 興平元年(194年)、曹操が再び陶謙を討ちに出ると、弟の張超と、曹操の部将の陳宮、許汜・王楷らが背くことを計った。陳宮に「千里の地と兵を持ちながら、人に従うのは惜しい。いま兗州は空で、呂布は戦に強い。迎えて兗州を治め、天下の動きを見よう」と説かれ、張邈はこれに従って呂布を兗州牧に迎えた。郡県はみなこれに応じ、曹操に残ったのは鄄城・東阿・范の三城だけだった。
- 曹操は軍を返して濮陽で呂布と百日余り対峙し、二年かけて城を取り戻し、鉅野で呂布を破った。興平2年(195年)、呂布は劉備のもとへ逃れ、張邈もこれに従い、家族は張超に託して雍丘に残した。張邈は袁術に救援を求めに向かったが、たどり着く前に自分の部下に殺された。十二月、雍丘は陥落して張超は自害し、張邈の三族は処刑された。
- 陳寿は張邈を「若くして侠で知られ、窮した者を救い、家を傾けても惜しまなかった」と記す一方で、「光武帝は龐萌を見誤り、魏の太祖も張邈に欺かれた。人を見抜くのは、帝王でも難しい」と嘆いた。なお『献帝春秋』は、張邈が帝を称そうとする袁術を諫めたと伝えるが、裴松之は、張邈は袁術のもとへ着く前に死んでいるはずだと、その食い違いを指摘している。
- 『三国志演義』では、反董卓連合の第六鎮として登場し、陳宮の勧めで呂布に兗州を取らせる役回りになっている。
主な出典
『三国志』魏書 呂布張邈臧洪伝(張邈伝)・武帝紀・臧洪伝、『後漢書』党錮列伝・袁術伝、『献帝春秋』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・善
決まりよりも、情と義侠、その場の判断で動く姿から、規律は裁量寄りに置いています。
家財を傾けて人を救った侠気と、友を思う情から、動機は他者のため寄りに置いています。ただし最後の決断には、自分の身を守る恐れも強く働いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。