三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

張超

臧洪を重く用い、雍丘で援軍を待って散った広陵太守

張超は、兗州東平郡寿張県の人で、広陵太守を務め、陳留太守・張邈の弟です。董卓が少帝を殺すと、臧洪の勧めで兄とともに決起し、反董卓の連合軍に加わりました。194年、曹操が徐州へ出た隙に、兄や陳宮と呂布を兗州牧に迎えて反乱を起こしますが、翌年、雍丘に籠もって曹操に囲まれ、12月に落城して自害しました。救援を袁紹に断られた臧洪が、袁紹と決別する、きっかけとなった人物です。経歴は『三国志』などをもとにしています。

兗州東平郡寿張県の人。兄は張邈。字は不明で、『三国志演義』の一種(嘉靖本)では「孟高」とされる。広陵太守となり、臧洪や袁綏を迎えた。董卓が少帝を殺すと、臧洪から、この時こそ義士が国に報いる好機だと勧められ、兄のいる陳留へ赴いて挙兵を相談し、酸棗で連合軍に加わった。盟の誓詞は、居並ぶ諸侯が互いに譲り合う中で、臧洪が任された。194年夏、曹操が徐州へ遠征した隙に、陳宮らや兄と謀って呂布を兗州牧に迎え、反乱を起こした。一時は兗州の大半が従ったが、翌195年に曹操が盛り返し、呂布は敗れて東へ逃れた。張超は、兄の命で家族とともに雍丘に籠城し、8月から曹操に囲まれ、12月に落城して自害した。一族は皆殺しにされたと記される。

THE WAY OF LIFE

張超の生き方

臧洪を、広陵の政務の中心に据えた。兄の張邈に理由を問われると、「臧洪は才略や知謀が私より優れた、海内の奇士で、深く愛している」と答えた。雍丘が囲まれたときには、「頼れるのは臧洪だけだ。子源は天下の義士で、背く人ではない。袁紹に止められて、間に合わないだけだ」と、周囲に語ったと伝わる。

雍丘の城に立てこもり、数か月にわたって曹操の攻撃に耐えた。待っていたのは、臧洪が袁紹に願った援軍だったが、袁紹はそれを許さず、城は落ちて張超は自害した。

持ち味と、その裏側

人を見て任せる目。臧洪の才を見抜き、重く用いた。その臧洪は、張超への恩を最後まで尽くし、袁紹に背いて殺された。一方、194年の反乱は、一時は兗州の多くを得ながら長く保てず、一族の滅亡という結果に終わった。徐衆は、呂布を勝手に州牧に立てたことを「王法では罪人」と評し、王夫之は、張邈兄弟が呂布と組んで曹操の兗州を奪ったことを批判した。史料は断片的で、人物像は多くが分かっていない。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜195年12月(暦の換算では196年の年初)

兗州東平郡寿張県の人。兄は張邈。

  1. 広陵太守の頃: 臧洪や袁綏を迎える。臧洪を政務の中心に据えた。
  2. 190年: 董卓が少帝を殺すと、臧洪の勧めに従い、兄・張邈のいる陳留へ赴いて挙兵を相談する。酸棗で連合軍に加わった。盟の誓詞は、諸侯が譲り合う中で臧洪が任され、立派に務めた。
  3. 194年夏: 曹操が陶謙を討つために徐州へ遠征した隙に、陳宮・許汜・王楷らと兄とで謀り、呂布を兗州牧に迎えて反乱を起こす。
  4. 195年: 曹操が盛り返し、呂布は敗れて徐州へ逃れる。張邈は呂布に従い、張超は家族とともに雍丘を守った。8月、曹操が雍丘を囲む。
  5. 195年12月: 雍丘が落城し、張超は自害した(曹操に斬られたとする記述もある)。三族が滅ぼされた。兄の張邈は、袁術に救援を求めに行く途中で、部下に殺された。
  6. 後日: 臧洪は、張超を救えなかった恨みから袁紹と決別し、東武陽に籠城した。

主な出典
『三国志』魏書「呂布臧洪伝」(張邈伝・臧洪伝)、武帝紀、『後漢書』呂布伝。経歴は Wikipedia「張超 (広陵太守)」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:真なる中立

兄や陳宮と謀り、曹操の留守を狙って反乱を起こした経緯から、規律は混沌寄りに置いています。

兄との連携と、臧洪のような人材への信頼で動いたことから、動機は中立に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。