CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
張裔
雍闓に呉へ送られ、機転で逃れて留府長史を担った蜀の実務家
張裔は、字を君嗣といい、蜀郡成都の人です。はじめ劉璋に仕え、劉備が益州に攻め込むと、戦ったのち降伏の使者に立ちました。劉備のもとでは農具や武器の製造を担い、のち益州太守となりますが、反乱した雍闓に捕らえられ、呉へ送られます。鄧芝の働きで帰国を許され、孫権に気に入られて引き止められそうになる中、船を急がせて逃れました。諸葛亮の北伐では、留府長史として丞相府を預かり、兵糧と兵の補充に努めました。経歴は『三国志』蜀書をもとにしています。
字は君嗣。蜀郡成都の人。『春秋公羊伝』を学び、『史記』『漢書』を広く読んだ。孝廉に挙げられて劉璋に仕え、魚復県令・従事・帳下司馬を歴任した。劉備が益州に攻め込むと、徳陽県の陌下で諸葛亮・張飛の軍と戦って敗れ、成都に戻って降伏の使者に立った。劉備に仕えて巴郡太守・司金中郎将となり、農具と武器の製造を担った。益州郡で太守の正昂が殺されると、後任の益州太守となったが、赴任すると雍闓が従わず、縛られて呉へ送られた。のち鄧芝の講和で帰国を許され、孫権の追っ手を振り切って逃れた。帰国後は参軍・益州治中従事となり、227年の北伐では射声校尉・留府長史として、丞相府の職務を統括し、兵糧と兵士の充足にあたった。230年に没した。
THE WAY OF LIFE
張裔の生き方
呉へ送られ、孫権に引見されると、「卓文君のような寡婦が司馬相如と駆け落ちしたのは、蜀の風俗か」と、からかわれた。張裔は「卓氏の寡婦は、朱買臣の妻より賢いと存じます」と返した。孫権が「帰ったら私に何で報いるか」と問うと、「五十八歳までは父母の賜った命、これ以後は大王の賜った歳月です」と答え、孫権は喜び、才を惜しんだ。
宮門を出た張裔は、「愚か者のふりをしておけばよかった」と深く悔やみ、すぐに船に乗って道を急いだ。孫権は果たして追っ手を出したが、張裔はすでに永安の境に入って数十里、追っ手は追いつけなかった。
持ち味と、その裏側
実務の才と、頭の回転の速さ。許靖は「干理敏捷で、中原の鍾元常(鍾繇)のような人物」と評し、陳寿は「肤敏応機」「談話の流れるような速さ」と評した。楊戯は「聡明で、機転が利き、恵みある人」と称えた。諸葛亮は『出師表』で、張裔を「貞良で死節の臣」の一人に挙げた。留府長史としては、「賞は遠い者も忘れず、罰は近い者を容赦しない」と諸葛亮を称え、のちに前線の諸葛亮へ赴くと、数百人が見送った。本人は、「丞相長史の職を人が敬うので、私は附いているだけで疲れて死にそうだ」と、諧謔まじりに親しい人へ書き送った。一方、楊洪は「才は堪えるが、性は公平でなく、専任は恐い」と諸葛亮に進言し、司塩校尉の岑述とも不仲で、諸葛亮に手紙でたしなめられた。その中で諸葛亮は、二人の関係を古の「金石の交わり」に例えている。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
165年〜230年(享年六十六)
蜀郡成都の人。字は君嗣。
- 若い頃: 『春秋公羊伝』を学び、『史記』『漢書』を広く読んだ。許靖が蜀に入ると、「干理敏捷で、鍾繇のような人物」と評した。
- 劉璋の時代: 孝廉に挙げられ、魚復県長・州署従事・帳下司馬を歴任した。
- 214年頃: 劉備軍の張飛が荊州から入ると、徳陽の陌下で防いだが敗れ、成都に戻る。劉璋の使者として劉備に会い、「劉璋を礼遇し、その部下を安んじる」との約束を得て、成都の城門が開かれた。
- 劉備に仕える: 巴郡太守となり、のち司金中郎将として農具と武器の製造を担当した。
- 221〜222年頃: 益州郡の太守・正昂が殺されたのち、益州太守となる。赴任すると、雍闓が従わず、鬼神の言葉を借りて「張府君は瓠壺のようで、外は艶やかでも中は粗く、殺す価値もない。縛って呉へ送れ」と言い、呉へ送られた。
- 223年: 劉備が没すると、諸葛亮が鄧芝を呉に遣わし、張裔の返還を求めさせた。張裔は呉で数年、身を隠して流浪しており、孫権は存在を知らなかったため、許された。孫権に引見されたのち、船を急がせ、追っ手を振り切った。
- 帰国後: 参軍となって丞相府の事務を代行し、益州治中従事を兼ねた。
- 227年: 諸葛亮が漢中に駐屯すると、射声校尉・留府長史として丞相府を統括し、兵糧と兵士の充足にあたった。のち輔漢将軍を加えられた。
- 228年: 前線の諸葛亮のもとへ事務の打ち合わせに赴いた。数百人が見送ったという。
- 230年: 没した。子の張毣が後を継ぎ、三郡の太守・監軍を務めた。弟の張郁は太子中庶子となった。
- 友人・楊恭: 若い頃から親しかった楊恭が早く亡くなると、幼い遺児を家に迎え、母を自分の母のように世話し、成長すると妻を迎えさせ、田宅を買い与えて独り立ちさせた。陳寿は「行義甚だ至る」と評している。
主な出典
『三国志』蜀書「霍王向張楊費伝」(張裔伝)。経歴は Wikipedia「張裔」の記述も参照しています。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:中立・善
丞相府の運営を任され、法と手続きを守る官僚として働いたことから、規律は秩序寄りに置いています。
主君が変わっても、任された務めを果たし、友や遺族への義理も守ったことから、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。