CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
張華
呉の平定を支え、万巻の書を愛し、政変に散った西晋の宰相
張華は、西晋に仕えた学者肌の宰相です。羊祜・杜預とともに呉討伐を支え、杜預の上奏が届いたとき、武帝(司馬炎)と打っていた囲碁の碁盤を下げて、出兵を勧めたと伝わります。呉の平定ののち、洛陽に来た陸機・陸雲の兄弟が師と仰いだ人物でもあり、各地の物産や不思議な話を集めた『博物志』を著しました。永康元年(300年)、趙王司馬倫の政変で捕らえられ、六十九歳で処刑されています。経歴は『晋書』張華伝などをもとにしています。
字は茂先。幽州范陽郡方城県の人。幼くして孤児となり、羊飼いをして暮らしを立てた。范陽太守の鮮于嗣に推されて太常博士となり、西晋が成立すると黄門侍郎、中書令、散騎常侍などを歴任した。羊祜・杜預とともに呉討伐の論を支え、280年に建業が陥ちて呉が平定されると、広武県侯に進封された。恵帝の代には賈南風の政権のもとで宰相を務め、司馬瑋の排除にも関わった。永康元年(300年)、趙王司馬倫と孫秀の政変で捕らえられ、処刑された。享年六十九。文才に優れ、『博物志』十篇を著した。
THE WAY OF LIFE
張華の生き方
貧しい孤児から羊飼いをして育ち、学問で身を立てた人。集めた知識を『博物志』にまとめ、物事を広く知ることを愛した。
呉の平定を支えた功臣でありながら、最期は政変の渦中で命を落とした。宰相の座は安泰ではなかった。
持ち味と、その裏側
博学と、人の才を認める眼。呉の名門から来た陸機兄弟に打ち解けて接し、兄弟は師の礼をもって敬った。一方で、宰相として太子の廃立を防げなかった点は、政変の際に責められた。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
232年〜300年(享年六十九)
幽州范陽郡方城県の人。字は茂先。父は魏の漁陽太守の張平。
- 幼くして孤児となり、羊飼いで生計を立てた。范陽太守の鮮于嗣に推挙されて太常博士となった。
- 西晋の成立後は黄門侍郎となり、中書令・散騎常侍などを歴任した。
- 羊祜・杜預とともに呉討伐の論を唱えた。羊祜が没したのち、杜預が出兵を強く求める上奏を送ったとき、武帝は張華と囲碁を打っていた。張華は碁盤を下げて出兵を勧め、武帝は決断したと伝わる(『晋書』張華伝)。
- 280年に建業が陥ちて呉が平定されると、功により広武県侯に進封された。洛陽に来た陸機・陸雲の兄弟は、張華と会うと旧知のように打ち解け、師の礼をもって敬った。
- 恵帝の代には、賈南風の政権のもとで宰相を務め、司馬瑋の排除にも関わった。
- 張華には宝剣の逸話が伝わる。天文に通じた雷煥と、斗牛の間の異気から宝剣のありかを語り、雷煥が豊城の獄舎の下から龍泉・太阿の二剣を見つけた。張華は一本を受け取って大切にしたが、のちに行方は分からなくなった。
- 永康元年(300年)、趙王司馬倫と孫秀が賈南風を廃して政権を握る政変を起こした。張華は偽の詔で呼び出されて捕らえられ、太子の廃立を防げなかったことを責められたが、これに反論した。そのまま宮殿前で処刑され、三族も殺された。享年六十九。
主な出典
『晋書』張華伝、『晋書』陸機伝。経歴は Wikipedia「張華」の記述も参照しています。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
宰相として国の制度と秩序を支えた立場から、規律は秩序寄りに置いています。
呉討伐の進言から宰相としての務めまで、国の大事を先に考えて動いた点から、動機は中立(国家のため)よりやや利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。