CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
張繡
形勢を読み、鋭く一撃を放つ槍の名手
張繡は、涼州武威郡祖厲県の人で、張済の甥です。叔父が戦死するとその軍を受け継ぎ、荊州の劉表と結んで宛に駐屯しました。建安2年(197年)、曹操が宛に迫るといったん降伏しましたが、曹操が張済の妻を迎えたことに怒って奇襲をかけ、曹操を敗走させます。この戦いで曹昂と典韋が戦死しました。建安5年(200年)、官渡の戦いの前に、賈詡の進言で曹操に降り、厚遇されます。建安12年(207年)、曹操の烏桓遠征に従い、柳城に着く前に亡くなりました。槍の名手として趙雲と渡り合う話は『演義』の脚色です。経歴は『三国志』魏書 張繡伝・賈詡伝をもとにしています。
張済の甥で、涼州出身の武将。宛城で曹操を破り、のち賈詡の進言で曹操に降った。
THE WAY OF LIFE
張繡の生き方
情勢の変化を読み、必要なら立場を変える。張繡は、冷静な判断力と、一度動くと思い切りのよい攻めを併せ持つ人物像です。
守りに入ると見せて、好機には鋭く突く。決断と挑戦の高さに、その切れ味を重ねています。
持ち味と、その裏側
情勢を見極める現実感覚と、好機をつかむ一撃の鋭さ。一方で、立場を変えるたびに信頼を築き直す必要が生まれるため、一貫した筋を見せることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜建安12年(207年)
涼州武威郡祖厲県の人。張済の族子。
- 叔父の張済が戦死すると、その軍を受け継ぎ、荊州の劉表と結んで宛に駐屯した。
- 建安2年(197年)、曹操が宛に迫ると、いったん降伏した。のち曹操が張済の妻を迎えたことに怒り、奇襲をかけて曹操を敗走させた。この戦いで曹昂と典韋が戦死した。
- 建安4年(199年)、官渡の戦いの前に、賈詡の進言を受けて曹操に降った。曹操は張繡を厚遇し、自分の子と張繡の娘を結婚させた。
- 建安12年(207年)、曹操の烏桓遠征に従い、柳城に着く前に亡くなった。
- 槍の名手として趙雲と渡り合うという話や「虎頭湛金槍」の名は、『演義』や後世の脚色。
主な出典
『三国志』魏書 張繡伝・賈詡伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:中立・悪
状況に応じて自分の判断で動く姿から、規律は中間としています。
自分の軍と立場を守る現実的な判断から、動機はやや利己寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。