三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

張紘

孫策に江東を勧め、建業への遷都を遺言にした文人参謀

張紘は、字を子綱といい、徐州広陵郡射陽県の人で、張昭と並んで「江東の二張」と呼ばれました(これは小説の呼び方です)。太学で学び、何進らの招きを受けても出仕しませんでしたが、戦乱を避けて江東に移り、孫策が挙兵すると初めて仕官しました。建安5年(200年)に孫策が没すると、曹操が喪につけ込んで攻めようとしましたが、張紘が進言して、取りやめさせたと伝わります。孫権の代には、秣陵(のちの建業)への遷都を進言し、建安16年(211年)に実施されましたが、家族を迎えに行く途中で病に倒れ、まもなく亡くなりました。享年は六十と伝わります。経歴は『三国志』呉書 張昭伝(張紘伝を附す)をもとにしています。

徐州広陵郡の人。張昭と並び「江東の二張」と呼ばれた。孫策の挙兵を勧め、曹操の使者も務めた。孫権の代には秣陵(建業)への遷都を進言し、その途中で亡くなった。

THE WAY OF LIFE

張紘の生き方

主君を立てて、危うい時には諫めた。張紘は、表に立たずに家を支える人物像です。

文章に優れ、曹操や孔融とも交わった。表現の高さと構想の高さに、その教養を重ねています。

持ち味と、その裏側

文章と外交の力と、遠くを見る構想。孫策・孫権の二代にわたり、主君の軽率な動きを諫めた誠実さ。一方で、自分で兵を率いて切り開く場面はなく、助言する立場にとどまった人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年未詳〜建安16年(211年)頃(享年60と伝わる)

徐州広陵郡射陽県の人。字は子綱。子に張靖・張玄。孫に張尚。

  1. 徐州広陵郡射陽県の人で、字は子綱。都に出て学問を修め、太学で博士の韓宗に学んで、儒教の経典に通じたと伝わる。何進・朱儁・荀爽らの招きを受けたが、出仕しなかった。郷里に戻ると、太守の趙昱に孝廉、のち茂才に推された。
  2. 戦乱を避けて江東に移った。孫策が挙兵すると、初めて仕官した。裴注が引く『呉暦』は、母の喪中だった張紘を孫策が自ら訪ねて、丹陽を足がかりに江東を取るよう求めたと伝える。
  3. 孫策は上奏して、張紘を正議校尉に任じた。丹陽の討伐に従い、孫策が自ら陣頭に立つのを諫めた。張昭・秦松・陳端とともに、孫策の参謀を務めた。呂布が張紘を茂才に招いたときは、孫策が代わりに断りの書簡を送り、張紘を引き留めた。
  4. 建安4年(199年)、孫策の使者として許都へ赴いた。曹操は張紘に侍御史の位を与えて、留まるよう求めた。張紘は孔融らと親しく交わった。
  5. 建安5年(200年)に孫策が没すると、曹操は喪につけ込んで攻めようとした。張紘は、喪に付け込むべきではないと進言し、曹操は出兵を取りやめたと伝わる。
  6. 孫権の代には、会稽東部都尉に任じられた。曹操が張紘を九江太守にしようとしたが、病を理由に固辞したという。孫権から厚く信任され、「東部」と尊称された。孫権の母の呉夫人は、息子を張紘に託した。張昭とともに、計略と外交を担い、二人のどちらかが随行すれば、もう一人が留守を守ったと伝わる。
  7. 孫権の日常の振る舞いを諫めて改めさせた。江夏遠征では都の留守を任され、孔融が功績をたたえる手紙を送った。合肥の出兵には長史として従い、軽装の騎兵だけで前線に出ようとした孫権を戒めた。翌年の再出兵のときにも、再び諫めた。
  8. 文章に優れ、文書の起草や記録に携わった。詩や賦の作品も多く残した。陳琳に賞賛されたと『呉書』は伝える。
  9. 呉郡から秣陵(のちの建業)への遷都を進言し、建安16年(211年)に実施された。張紘は、孫権の家族を呉郡へ迎えに行く途中で病に倒れ、まもなく亡くなった。享年は六十と伝わる。
  10. 亡くなる前に、子の張靖に遺書を託した。孫権はそれを読んで、涙を流したという。『三国志演義』は、張昭と張紘を「江東の二張」として描くが、この呼び方は小説の設定である。

主な出典
『三国志』呉書 張昭伝(張紘伝を附す)、裴松之注に引く『呉書』『江表伝』『呉暦』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

主君を礼で諫め、孫家の守りに徹した姿から、規律は秩序寄りとしています。

孫策の喪中に曹操の侵攻を止め、孫権を諫め続けた記録から、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。