CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
張松
才は鋭く、見栄えは冴えない、益州の策士
張松は、字を永年といい、益州蜀郡の人で、劉璋に仕えた別駕従事です。背が低く、振る舞いは勝手気ままでしたが、見識と決断力に優れていたと伝わります。曹操のもとへ使者として送られたとき、曹操は益州を必要とせず、冷たく扱いました。帰国後、劉璋に曹操との絶交と劉備との同盟を勧め、法正らとともに、劉備を益州へ迎える流れをつくります。劉備が益州に入ると内応しようとしましたが、兄の張粛の密告で露見し、劉璋に殺されました。『演義』では、曹操の兵書を一度見ただけで暗唱してみせる場面が語られます。経歴は『三国志』蜀書 劉璋伝・法正伝をもとにしています。
劉璋に仕えた益州の別駕。曹操に冷遇されて劉備を推し、益州に迎える流れをつくったが、のち兄の密告で殺された。
THE WAY OF LIFE
張松の生き方
小柄で勝手気ままに見えて、頭の回転は鋭い。張松は、先を読む構想力と、危うい橋もいとわない大胆さを併せ持つ人物像です。
主君を見限る判断も、すばやい。構想と挑戦の高さと、規律の低さに、その抜け目なさを重ねています。
持ち味と、その裏側
状況を見て、勝ち馬を見極める洞察力と、危うい橋も渡る度胸。一方で、主君への信義より自分の見立てを優先しやすく、周囲から信用されにくくなります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
?年〜建安17年(212年)ごろ
益州蜀郡の人。字は永年。
- 益州の劉璋に仕え、別駕従事を務めた。背が低く、振る舞いは勝手気ままだったが、見識と決断力に優れていたと伝わる。
- 曹操のもとへ使者として送られたが、曹操は益州を必要とせず、張松を冷たく扱った。
- 帰国後、劉璋に曹操との絶交と劉備との同盟を勧め、法正らとともに、劉備を益州へ迎える流れをつくった。
- 劉備が益州に入ると、張松は内応して劉備に益州を取らせようとしたが、兄の張粛の密告で露見し、劉璋に殺された。
- 『三国志演義』では、曹操に冷遇された張松が、曹操の兵書を一度見ただけで暗唱してみせ、益州の地図を劉備に渡す場面が語られる。
主な出典
『三国志』蜀書 劉璋伝・法正伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
主君の筋より、自分の判断と見立てで動く姿から、規律は混沌寄りとしています。
益州の将来と、自分の見立ての正しさの両方を優先する姿から、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。