三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

張奐

贈り物を拒み、降伏者を生かした辺境の将

張奐は、後漢末の涼州敦煌郡出身の将で、辺境で羌・匈奴・烏桓の反乱に対応しました。羌からの金や馬を返し、董卓が兄に持たせた錦も受け取らなかったと記されます。166年には帰順した南匈奴・烏桓の人々を受け入れ、首謀者だけを処罰しました。一方、168年の竇武・陳蕃事件では偽の命令で竇武を包囲し、のちに事件を悔いて名誉回復を求めました。禁錮中には千人の弟子を養い、『尚書記難』を著したと記されます。

後漢の将。敦煌郡淵泉県の人で、字は然明。辺境の将軍や太守を歴任し、166年には南匈奴・烏桓の帰順を受けた。168年、竇武・陳蕃事件で偽の命令に従い竇武を包囲し、のちに事件を悔いた。181年、78歳で没した。

THE WAY OF LIFE

張奐の生き方

羌からの金と馬を返し、董卓が兄に持たせた錦百匹も受け取らなかった。私利を退けた記録として、信条を高めに置いています。

166年、帰順した集団の首謀者だけを処罰し、残りは受け入れた。『後漢書』はこの処遇を「但誅其首惡,餘皆慰納之」と記します。統率と判断を高めに置いたのは、この記録に基づく読みです。

持ち味と、その裏側

少数の兵を集めて反乱を破った軍事手腕、降伏者を受け入れた統治、武威で賦税を公平にした地方統治の実績。一方で、竇武の包囲は偽の命令によるものとはいえ、結果として忠臣の死に関わった。戦闘での殺害の記録もある。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年は103年または104年とされ、本文では光和4年(181年)に享年78で没したと記される。

涼州敦煌郡淵泉県の人。字は然明。父の張惇は漢陽太守。後年の本籍は弘農郡華陰県。

  1. 敦煌郡淵泉県の人。父の張惇は漢陽太守だった(『後漢書』本文)。
  2. 朱寵に師事して『欧陽尚書』を学び、梁冀の府に招かれ、のち議郎となった(『後漢書』本文)。
  3. 155年、安定属国都尉として南匈奴・東羌の反乱に対応し、少数の兵から兵力を集めて反乱勢力を破った(『後漢書』本文)。
  4. 159年、梁冀の失脚に連座して免官・禁錮された。禁錮中、皇甫規が前後七度にわたって推薦した(『後漢書』本文)。
  5. のち武威太守を経て度遼将軍となった。皇甫規は自らの後任に張奐を推薦し、朝廷がこれを認めた(『後漢書』本文)。
  6. 166年、大司農となり、護匈奴中郎将として北方の反乱に対応した。匈奴と烏桓が帰順し、その人口は合わせて「凡二十萬口」に及んだ。張奐は首謀者だけを処罰し、残りは受け入れた(『後漢書』本文。20万は人口で、兵の数ではない)。
  7. 167年、部下の尹端と董卓を派遣して東羌・先零羌を討たせた。董卓が張奐の指揮下にいたことは、『三国志』董卓伝にも記される。
  8. 董卓が兄に錦百匹を持たせて贈ったが、張奐は「奐惡卓為人,絕而不受」として受け取らなかった(『後漢書』本文)。『後漢紀』は董卓の奸悪を見抜いて絶交したと、より踏み込んで記す。
  9. 168年、宦官の曹節らの偽の命令で竇武を包囲し、竇武は自殺、陳蕃も殺された。張奐は事情を知らなかったと記されるが、包囲したことは事実として記録されている(『後漢書』本文)。
  10. 事件を悔いて与えられた侯爵を辞退し、竇武と陳蕃の名誉回復と遺族への措置を求めた(『後漢書』本文)。
  11. 禁錮中は門を閉ざして外出せず、千人の弟子を養い、『尚書記難』三十余万言を著したと記される(『後漢書』本文)。
  12. 光和4年(181年)、78歳で没した。遺命で簡素な葬儀を望み、武威では祠が長く残ったと記される(『後漢書』本文)。死因の記録はない。
  13. 後世の創作として、『後漢演義』では竇武事件の場面に登場し、作者は張奐の責任を厳しく批判している(小説であり史実ではない)。『蒼天航路』では黄巾の乱で戦死する設定があるが、これは正史と異なる創作。

主な出典
『後漢書』巻65 皇甫張段列伝(張奐伝)、『三国志』巻6 董卓伝(董卓が張奐の指揮下にいたこと)、『三国志』巻1 武帝紀の裴松之注(『続漢書』、曹騰による推薦の記事)、『後漢紀』巻23(後世の編年体史書。より踏み込んだ評価を含む)、『後漢演義』(近代の小説)

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

武威での賦税の公平化や、人命を守る政策など、統治の記録は法と秩序を重んじる方向にあるため、規律は秩序寄りとしています。ただし、偽の命令に従った件は判断の誤りとして評価を分けています。

降伏者のうち首謀者以外を赦したこと、羌と董卓からの贈り物を受け取らなかったこと、竇武と陳蕃の名誉回復を求めたことなど、私利より他者や公を優先した記録が複数あるため、動機は他者寄りに置いています。ただし、竇武の包囲は偽の命令によるもので、その時の判断の根拠は史書に明確ではありません。本人の内心は書かれていません。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

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