CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
岑昏
工事で民を苦しめ、張尚の助命も求めた人
岑昏は、呉の末期、孫晧に寵愛された臣です。陳寿は、へつらいで高位に進み、工事や労役を好んで人々を苦しめたと記します。一方で、張尚の死罪を減らすよう、百人余りを率いて嘆願した記録も残っています。ここでの人物像は、記録に残る行動からの読みで、宦官や、鉄鎖の発案者とする話は、後世の小説のものとして区別しています。
呉の末期の臣。尚書・衛尉などを務め、孫晧の寵愛を受けた。道路整備や開削の工事に関わり、陳寿は人々を苦しめたと記す。張尚の助命を求めたが、280年、近臣たちに捕らえられて殺された。
THE WAY OF LIFE
岑昏の生き方
張尚が孫晧の怒りを買ったとき、百人余りを率いて宮廷に行き、叩頭して死罪を減らすよう求めた。ただし、動機は書かれていません。
工事や労役を好んだと本文にあり、衛尉として宮城周辺の整備を上表した記録もある。信条を低めに置いたのは、陳寿の評価に基づく読みです。
持ち味と、その裏側
高位に進んだ政治力を、張尚の助命にも使ったと記される。一方、陳寿は「險諛」と評し、工事は人々の苦しみになったとする。どちらか一方だけでは、この人物の記録は読めません。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜天紀4年(280年)
南陽郡棘陽を本貫とする岑氏の出と伝わる(『新唐書』宰相世系表。三国時代より後の系譜で、直接の証明ではない)。
- 官職は、張紘伝の注に引く『呉紀』が「尚書」、『初学記』が引く『呉紀』が「衛尉」と記す。孫晧伝の本文は、高位の「九列」に進んだと書く。『演義』では「中常侍」とされるが、正史や引用史料から、宦官だったとは確認できない。殿中列将は岑昏ではなく、何定の官職である。生年は確認できない。
- 陳寿は孫晧伝に、岑昏が「險諛」、つまり、へつらいで貴幸を得て九列に至り、工事や労役を好んで、人々の患苦するところとなった、と記す(本文)。陳寿の評価で、具体的な工事の中身は、この一文だけでは分からない。
- 天紀2年(278年)、衛尉の岑昏は、官舎を整える案を上表した。宮門から朱雀橋まで、道の両側に官舎を造り、大きな道を開いて、男女の通行を分けたという(『初学記』が引く環済『呉紀』)。この工事が、人々にとって有益だったか、費用に見合ったかは、この記事だけでは評価できない。
- 『太平御覧』が引く『呉志』は、岑昏が丹徒から雲陽にかけて開削し、丘陵を切り崩して、労力は非常に苦しかったと伝える。これは裴松之注ではない。完成した規模や、岑昏が発案したかどうかは、確認できない。
- 張紘の孫の張尚は、孫晧の問いへの答えが怒りを買い、捕らえられた。そのとき、尚書の岑昏は、公卿以下百人余りを率いて宮に行き、叩頭して頼み、張尚は死罪を減じられた(裴松之注に引く環氏『呉紀』)。助命の動機は書かれておらず、友情や慈悲と決めつけることはできない。
- 張尚は、その後、建安に送られて船造りに従事し、のち殺されたと、張紘伝の本文は記す。岑昏は、張尚を最後まで救えたわけではない。司馬光『資治通鑑考異』が引く『三十国春秋』は、岑昏らが頭に泥を塗って張尚の身代わりを願い、張尚は広州に流されたとする。三つの記録は食い違っており、司馬光は、張尚伝を採り、環氏『呉紀』を参考にしたと述べる。
- 天紀4年(280年)3月丙寅、殿中の近臣数百人が叩頭して孫晧に岑昏の殺害を求め、孫晧は慌てて従った(孫晧伝・本文)。裴松之注に引く干宝『晋紀』は、人々が一斉に起って岑昏を捕らえ、孫晧が使者を次々に送って止めようとしたが、すでに殺されていた、と伝える。本文には、制止の場面はない。殺された場所や方法は、書かれていない。孫晧が止めようとした理由も、書かれていない。
- 『晋書』王濬伝は、呉の人が長江の要所に鉄鎖を渡し、鉄錐を水中に仕掛けて、晋の船を阻もうとしたと記す。この箇所に、岑昏の名はない。楼船は、晋の王濬が造った船で、岑昏のものではない。岑昏が鉄鎖を提案したという話は、『三国志演義』第120回に見える。
- 没年は280年。『新唐書』宰相世系表は、岑氏を南陽棘陽に住んだ一族とし、岑軻の六子の一人に昏の名を載せる。後代の系譜で、岑昏の出生地を直接証明するものではない。
- 悪い面は、陳寿本文に「險諛」「好興功役」と具体的に記される。良い面は、張尚の助命を求めた行動が、裴松之注に引く『呉紀』に残る。一方が他方を打ち消すものではない。『演義』の悪役像も、そのまま採らず、助命嘆願だけで善人だったとも決めつけない。
主な出典
『三国志』呉書 孫晧伝・張紘伝(裴松之注に引く環氏『呉紀』、干宝『晋紀』)、『初学記』、『太平御覧』、『資治通鑑考異』、『晋書』王濬伝、『新唐書』宰相世系表、『三国志演義』は区別して記載
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:真なる中立
孫晧の寵愛を背景に動きつつ、百人余りを率いて嘆願するなど、決まりの内と外の両方の動きが記録されているため、規律は中間としています。
労役で人々を苦しめた本文の記録と、張尚の助命を求めた行動の記録の両方があり、動機は中間に置いています。善悪を断定するものではありません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。