CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
孫魯育
姉の太子廃嫡の計画に反対し、姉の讒言で命を落とした孫権の娘
孫魯育は、呉の孫権の娘で、朱拠の妻です。字は小虎で、「朱公主」とも呼ばれました。姉の孫魯班が孫和を太子から廃そうとしたとき、これに反対したと伝わります。255年、姉が孫峻に、暗殺の計画に加わったと誣告し、殺されました。本人の言葉や性格を示す記録は少なく、ここでは記録の少なさを踏まえた暫定の値を置いています。本人の言行を記した史料が見つかれば、見直す余地があります。
呉の孫権と歩皇后の娘。字は小虎。朱拠の妻で、朱公主と呼ばれた。姉の孫魯班による太子孫和の廃嫡計画に反対したと伝わる。255年、姉に誣告され、孫峻に殺された。
THE WAY OF LIFE
孫魯育の生き方
姉に逆らって、太子を守る側に立ったと伝わる。孫魯育は、家のなかで筋を通した人物像です。
本人の言葉や行いは、ほとんど残らない。値は暫定のものです。
持ち味と、その裏側
記録が少ないため、持ち味は特定できません。確かに言えるのは、姉の計画に反対して、のちに命を落としたという立場だけです。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年未詳〜五鳳2年(255年)
孫権の娘。生母は歩皇后。同母の姉に孫魯班。夫は朱拠、のち劉纂とも伝わる。娘は孫休の皇后となった。
- 孫権の娘で、字は小虎。生母は歩皇后で、同母の姉に孫魯班(字は大虎)がいる。左将軍の朱拠に嫁ぎ、「朱公主」と呼ばれた。黄龍元年(229年)のことと伝わる。
- 赤烏5年(242年)、孫和が太子になった。姉の孫魯班が孫和を廃そうとすると、孫魯育は反対した。夫の朱拠も孫和を支持したため、姉と対立したと伝わる。
- 赤烏13年(250年)に朱拠が没したあと、孫魯育は、早世した異母姉の夫だった劉纂と再婚したと伝わる。
- 五鳳元年(254年)から翌年にかけて、孫英・孫儀らが相次いで孫峻の暗殺を企て、いずれも失敗した。五鳳2年(255年)、姉の孫魯班は孫峻に、孫魯育も計画に加わっていたと誣告した。孫峻は孫魯育を殺し、遺体は建業の南郊の石子岡に、乱雑に埋められたという。
- のち孫亮が事情を知り、孫峻の側近だった朱熊・朱損を責めて、丁奉に処刑させたと伝わる(年は不明)。朱損は、孫魯育の継子とも伝わる。
- 孫魯育の娘は、孫休の皇后(景皇后)になった。孫休が帝位に就くと、孫峻の墓は暴かれ、棺は削られたという。
- 元興元年(264年)、孫皓によって改葬された。この改葬の話は『建康実録』による。
主な出典
『三国志』呉書 孫亮伝・孫峻伝・朱拠伝、『建康実録』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:中立・善
規律を示す記録が乏しいため、中間に置いています。
姉の計画に反対した記録から、動機は他者寄りの側に置いています。ただし本人の言葉は乏しく、暫定の値です。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。