三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

孫韶

若くして京城を守り、魏との境を守った人

孫韶は、呉の宗室の将です。孫河の甥で、17歳で京城を守り、のち鎮北将軍として広陵方面で長く魏との境を預かりました。『三国志』が伝えるのは、兵をよく養い、斥候で魏の動きを探って備えを整えた姿です。ここでの人物像は記録からの読みで、悪い面を示す記録がほとんど見当たらない、という点も含めて書いています。

孫河の甥で、字は公礼。17歳で京城を守り、のち鎮北将軍として広陵方面で魏との境を長く守った。

THE WAY OF LIFE

孫韶の生き方

17歳で、殺された孫河の残した兵をまとめ、京城の守りを整えた。統率と決断の高さは、本文に残るこの実績に基づく読みです。

長く境にいて、遠くへ斥候を出して魏の動きを探り、備えを整えた。構想と規律の高さは、この慎重な守りに基づく読みです。

持ち味と、その裏側

兵を養って命がけの働きを得る人望と、斥候で敵の動きを先に知る慎重さ。一方で、悪い面を示す記録がほとんど見当たらず、同じ重さでは書けない人物でもあります。戦争に参加した武将である点は他の将と変わりません。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜赤烏4年(241年)

呉の宗室。孫河の甥。字は公礼。

  1. 字は公礼。本文は、伯父の孫河(字は伯海)がもと俞氏で、孫策に愛されて孫姓を賜り、一族に加えられたと記す。注に引く『呉書』は、孫河はもと孫堅の同族で、俞氏の後を継いで俞姓を名乗り、のち孫姓に復したと説明する。孫韶が孫河の養子だったとは書かれておらず、実父の名もこの伝では確認できない。
  2. 孫河が妫覧・戴員らに殺されると、韶は17歳で河の残した兵を集め、京城(京口)の備えを整え、楼櫓を建て、武器を修理した(本文)。
  3. 孫権が夜、京城のそばに陣を構えて試しに攻めると、守兵は城壁に上がって警戒を伝え、声をあげて応戦し、城外の人々にまで射かけたため、孫権が事情を告げてようやく止まった。翌日、孫権は韶を高く評価して承烈校尉とし、河の旧部隊を率いさせた(本文)。夜の試しで味方に射かけた場面もあり、完璧な判断だったと言い切る必要はない。
  4. のち広陵太守・偏将軍、揚威将軍となり建徳侯に封じられ、孫権が皇帝となると鎮北将軍に進んだ。長く魏との境を守り、斥候を遠くへ出して敵の動きを探り、備えを整えたため大きな敗北が少なかったと、本文は記す。青州・徐州、汝南・沛方面から呉に帰順する人々が現れ、淮南の魏の守備隊は長江沿いから遠くへ退いた、ともある。
  5. 本文は「士卒をよく養い、その死力を得た」と評する。ただし、具体的にどのような施しをしたかは記されていない。
  6. 孫権が建業に戻って久しぶりに会ったとき、青州・徐州方面の守りの拠点、地形、兵馬の数、魏の将軍たちの名を尋ねると、韶はすべて答え、孫権は喜んだ(本文)。
  7. 黄武4年(225年)冬、魏の曹丕が広陵に進出したとき、韶は部将の高寿らに決死の兵500人を率いさせ、曹丕の帰路を夜襲させた。曹丕は驚き、高寿らは副車の羽蓋を奪って帰ったという。これは本文ではなく、呉主伝の注に引く『呉録』の記述で、呉側の戦果の報告である。韶自身が敵陣に突入した話ではない。
  8. 嘉禾3年(234年)、孫権が合肥新城を囲んだとき、韶は張承とともに広陵・淮陽方面へ向かったが、魏の明帝が水軍を率いて東へ出ると、孫権とともに作戦を止めた(呉主伝・本文)。韶が明帝の軍と直接戦ったという記述は確認できない。
  9. 赤烏4年(241年)に亡くなった。享年は記されていない。最後の官は鎮北将軍・領幽州牧・仮節、封は建徳侯で、子の孫越が継いだ(本文)。
  10. 孫河の死にまつわる孫翊の妻徐氏の復讐は、注に引く『呉歴』などの記述で、韶自身の功績ではない。
  11. 陳寿の評は宗室全体についての評で、孫韶個人の名は挙げていない。宗族が国家の支えとなり、ある者は創業を助け、ある者は辺境を守った、と評価する。

主な出典
『三国志』呉書 宗室伝(孫韶伝、裴松之注に引く『呉書』『会稽典録』『呉歴』)、呉書 呉主伝(裴松之注に引く『呉録』)

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

斥候や備えを重んじ、大きな敗北が少なかったという記録から、規律は秩序寄りとしています。

兵をよく養い、境の備えを整え続けた行動は、守りを固める方向に揃っています。ただし、本人の内心が書かれているわけではありません。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。