三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

孫静

宗族五六百人を集め、査瀆から敵の背後を突く策を授けた人

孫静は、孫堅の末の弟、孫策・孫権の叔父です。孫堅が挙兵したとき、郷里の人と宗室の五六百人を集めて、その土台をつくりました。196年、孫策が会稽の王朗を攻めあぐねると、「査瀆から敵の背後に出よ」と策を授けます。孫策は、水を澄ます瓦缶と夜の火で王朗を欺き、会稽を平らげました。孫策が重い官を授けようとしても、孫静は故郷を離れたがらず、そこで一生を終えました。経歴は『三国志』呉書「宗室伝」をもとにしています。

呉郡富春の人で、字は幼台。孫堅の季弟(末の弟)。孫堅が義兵を起こすと、郷里の人と宗室の五六百人を糾合して保障とし、みな孫静に従った。196年、孫策が劉繇を破って諸県を平定し、会稽に進攻すると、人を遣って孫静を招いた。孫静は家族を連れて銭唐で孫策と会った。会稽太守の王朗は固陵で孫策を拒み、孫策は何度も水を渡って戦ったが勝てなかった。孫静は言った。「王朗は険を頼んで城を守っており、たやすくは抜けません。査瀆は、ここから南に数十里、道の要路です。そこから敵の背後に拠るのがよい。兵法に言う、備えのないところを攻め、意表を突くことです。私が自ら軍の前隊を率いれば、必ず破れます」。孫策は「よい」と言い、軍中に偽って告げた。「近ごろ長雨で水が濁り、兵がこれを飲んで腹痛を起こしている。瓦缶を数百口用意して、水を澄ませ」。黄昏になって、多くの火をともして王朗を欺き、軍を分けて夜に査瀆の道から高遷屯を襲った。王朗は大いに驚き、もと丹陽太守の周昕らを出して迎え撃たせたが、孫策は周昕らを破って斬り、会稽を平定した。王朗は逃げ、虞翻が従って守り、海を越えて東冶に着いたが、孫策が追撃して大破し、降った。孫策は上表して孫静を奮武校尉に任じ、重任を授けようとしたが、孫静は墓や宗族のある故郷を恋しがり、出仕を望まず、留まって守ることを求めた。孫策は許した。200年、孫権が政務を執ると、就地で昭義中郎将に遷され、孫静は故郷の家で終えた。子に孫暠・孫瑜・孫皎・孫奐がいる。

THE WAY OF LIFE

孫静の生き方

孫堅が兵を挙げた。孫静は郷里を回って、宗族の五六百人を集めた。兄の軍の、最初の土台になった。みな、孫静のもとに集まった。

会稽の固陵で、孫策は王朗に何度も阻まれた。叔父の孫静が言った。「王朗は険を頼んで守っています。ここから南へ数十里に、査瀆があります。そこから背後に出ましょう。備えのないところを攻め、意表を突くのです。私が自ら前隊を率います」。孫策は軍中に告げた。「連日の雨で水が濁り、兵が腹を壊している。瓦缶を数百、水を澄ませるために用意せよ」。夕暮れに、数えきれない火がともった。

孫策は、叔父に重い官を授けようとした。孫静は断った。「墓も宗族も、ここにあります。私は、故郷を守っていたいのです」。孫策は許した。孫権の代になっても、昭義中郎将の位を受けながら、孫静は故郷を出ず、そこで終えた。

持ち味と、その裏側

宗族と郷里を束ねる信望と、前線に出る力。孫堅の挙兵では土台をつくり、孫策の会稽攻めでは、査瀆の策と、自ら前隊に立つ覚悟を示した。権力の座を望まず、故郷の暮らしを選んで生涯を終えた。陳寿は、宗室の人々が国を支える城だとして、詳しく記している。一方で、戦う力を持ちながら官にとどまらなかったため、大きな役割は残さなかった。控えめさと、広がらない活躍が、同じ根から出ている人。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜没年不詳(200年以後、故郷で没す)

揚州呉郡富春県の人。字は幼台。孫堅の末の弟。孫策・孫権の叔父。子に孫暠・孫瑜・孫皎・孫奐。

  1. 呉郡富春の人で、字は幼台。父は孫鍾、兄に孫羌・孫堅。孫堅の末の弟で、孫策・孫権の叔父にあたる。
  2. 孫堅が兵を挙げると、孫静は郷里の人と宗室の五六百人を集めて保障とし、みなが従った。
  3. 196年、孫策が劉繇を破って諸県を平定し、会稽に進攻すると、人を遣って叔父の孫静を招いた。孫静は家族を連れて、銭唐で孫策と会った。会稽太守の王朗は固陵で孫策を拒んでおり、孫策は何度も水を渡って戦ったが、勝てなかった。
  4. 孫静は孫策に言った。「王朗は険を頼んで城を守っており、すぐには抜けません。査瀆はここから南に数十里、道の要路です。そこから敵の内側に拠るのがよい。いわゆる、備えのないところを攻め、意表を突く策です。私が自ら軍の前隊を率いれば、必ず破れます」。孫策は「よい」と言った。
  5. 孫策は軍中に偽って告げた。「近ごろ連日の雨で水が濁り、兵がこれを飲んで腹痛を起こす者が多い。瓦缶を数百口用意して水を澄ませよ」。夕方になって、多くの火を連ねてともし、王朗を欺き、軍を分けて夜に査瀆の道から高遷屯を襲った。
  6. 王朗は大いに驚き、もと丹陽太守の周昕らに兵を率いて迎え撃たせた。孫策は周昕らを破って斬り、会稽を平定した。王朗は逃げ、虞翻が従って護り、海に浮かんで東冶に至ったが、孫策がこれを追って大破し、王朗は降った。
  7. 孫策は上表して孫静を奮武校尉に任じ、重い任を授けようとしたが、孫静は先祖の墓や宗族の暮らす故郷を恋しがり、出仕を楽しまず、留まって守ることを求めた。孫策はこれに従った。
  8. 200年、孫策が没すると、孫静の長子の孫暠は江東の大権を握ろうとしたが、虞翻に説かれて退いた。孫権が政務を執ると、孫静は就地で昭義中郎将に遷され、故郷の家で終えた。
  9. 陳寿は『三国志』で、「親を親しむ恩義は古今の常で、宗子は維城と詩人も称える。まして、この宗室の孫たちが、あるいは初基を助け、あるいは辺境を鎮守して任に堪え、その栄えを辱めなかったのは、なおさらである。ゆえに詳しく記す」と述べている。

主な出典
『三国志』呉書「宗室伝」、『資治通鑑』巻六十二。経歴は 百度百科「孫静」の記述も参照しています。

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・中立

孫策に任官を勧められても断り、自分の望む形で故郷に留まりました。形式の官位より、自分の裁量で暮らし方を選んだ人として、規律は裁量寄りに置いています。

宗族と郷里のつながりを何より大事にした人です。孫策の勝利のために策を出しながら、官位は求めませんでした。個人の栄達ではなく、家と郷里のために動いたとして、動機は中立に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。