CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
孫覇
太子の兄と同じ扱いを受け、二宮の変で自殺を命じられた魯王
孫覇は、呉の孫権の子で、魯王です。兄の孫和が太子となった後、兄と同じ待遇を受け、二宮の変では孫和と後継を争いました。赤烏13年(250年)、孫権に自殺を命じられ、取り巻きの楊竺らは誅殺されました。本人の言葉や人柄を示す記録は少なく、ここでは記録の少なさを踏まえた暫定の値を置いています。本人の言行を記した史料が見つかれば、見直す余地があります。
呉の孫権の子。字は子威。魯王。兄の孫和と同じ待遇を受け、二宮の変で後継を争った。250年、孫権に自殺を命じられた。
THE WAY OF LIFE
孫覇の生き方
兄と同じ宮殿で、同じ待遇を受けた。孫覇は、兄弟の争いの中心に置かれた人物像です。
本人の言葉や行いは、ほとんど伝わらない。値は暫定のものです。
持ち味と、その裏側
記録が少ないため、持ち味を特定できません。確かに言えるのは、孫権に寵愛され、後継をめぐる争いの当事者になった立場だけです。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年未詳〜赤烏13年(250年)
呉郡富春県の人。字は子威。母は謝姫。妻は劉基の娘。子に孫基・孫壱。
- 呉郡富春県の人で、字は子威。母は謝姫。妻は劉基の娘で、子に孫基と孫壱がいる。
- 赤烏5年(242年)、兄の孫和が皇太子に立てられると、群臣が孫覇らの王位を請願した。孫権は一度断ったが、半年後に再び請願があり、孫覇を魯王に封じた。教育係は是儀だった。
- 孫権は孫覇を寵愛し、兄と同じ待遇を与えて、同じ宮殿に住ませた。これが批判されると、別々の宮を置いて、それぞれに幕僚を付けたが、孫覇は不満を抱いた。
- 兄弟の仲は悪化し、派閥の争いは、重臣を巻き込んだ。『通語』によれば、孫覇の側には、楊竺・全奇・孫奇・呉安らの取り巻きと、外戚の孫魯班(全公主)、歩騭・呂岱・全琮・呂拠・孫弘らが付いていた。孫和の側の陸遜や顧譚は、楊竺らの讒言の対象になった。歩騭や全琮が世を去ると、孫覇の側の勢いは弱まった。
- 赤烏13年(250年)、孫権は孫亮を太子に立て、孫和を廃した。孫覇には自殺が命じられ、楊竺・全奇・孫奇・呉安らは誅殺された。『通語』は、孫峻と相談したうえでの措置だったと伝える。
- のち五鳳年間に、子の孫基は呉侯、孫壱は宛陵侯に封じられた。孫晧が即位すると、二人は爵位と領国を削られ、祖母の謝姫とともに、会稽郡烏傷県に幽閉された。
- 羊衜は、孫覇を、東宮と並ぶ徳の高い人物として美名が高い、と評した記録がある。享年や、人柄を詳しく述べた記述は、見つからない。
主な出典
『三国志』呉書 孫覇伝・孫和伝(二宮事件)、裴松之注に引く『通語』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:真なる中立
規律を示す記録が乏しいため、中間に置いています。
記録が乏しく、動機を一方に定められないため、中間に置いています。
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