CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
孫礼
曹魏の名将・司空
孫礼は、涿郡容城県の人です。若い頃、戦乱で母とはぐれたところを馬台に助けられ、家財を贈って恩に報いました。のち馬台が死罪となると、密かに逃がして自らは温恢に自首し、温恢はその義を曹操に報告して、孫礼と馬台の死罪を減じさせます。曹爽の時代には、揚州刺史として芍陂で全琮を退けて、賜った絹は戦死者の家族に渡しました。清河と平原の境界争いでは、地図を根拠に平原と判断し、曹爽の怒りを買って五年の徒刑に処されます。曹爽の誅殺後に司隷校尉となり、司空に進んで、嘉平2年(250年)に没しました。陳寿は「剛断伉厲」と評します。経歴は『三国志』魏書 韓崔高孫王伝をもとにしています。
涿郡容城県の人。若い頃、戦乱で母とはぐれたところを馬台に助けられ、家財を贈って恩に報いた。のち馬台が死罪となると、密かに逃がして自らは温恢に自首した。曹爽の時代には、清河と平原の境界争いで地図を根拠に平原と判断し、曹爽の怒りを買って五年の徒刑に処された。のち司隷校尉・司空にまで進んだ。
THE WAY OF LIFE
孫礼の生き方
芍陂の戦い(全琮の侵攻)で、将兵の半数が死傷する中、自ら陣頭に立って戦い、敵を退けた。朝廷から賜った絹七百匹は、すべて戦死者の家族に与えた。
清河と平原の争いで地図に基づき裁いたが、曹爽に弾劾されて五年の徒刑となった。多くの人の弁護で城門校尉に戻り、のち司空にまで至った。
持ち味と、その裏側
剛直で、権力者にも諫言を曲げない。戦場では自ら前に出る決断力。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生年不詳〜嘉平2年(250年)
涿郡容城県(現在の河北省容城県)
- 若い頃: 戦乱で母とはぐれ、馬台に助けられる。家財を贈って恩に報いる。
- 207年頃: 曹操が幽州を平定した後、司空の軍謀掾として召される。
- 明帝の時: 尚書となる。明帝の遺詔により大将軍長史・散騎常侍を加えられる。
- 曹爽の時代: 揚州刺史として芍陂で全琮を退ける。賜った絹は戦死者の家族へ。
- 清河・平原の境界争い: 地図に基づき平原と判断。曹爽の怒りを買い、五年の徒刑となる。
- 曹爽誅殺の後: 并州刺史を経て、司隷校尉となる。
- 司空に進み、大利亭侯に封じられる。
- 嘉平2年(250年): 没。諡は景侯。
主な出典
『三国志』魏書 韓崔高孫王伝(裴松之注を含む)。陳寿は「剛断伉厲」と評する。王夫之『読通鑑論』にも言及がある。
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・善
規律4のため秩序。地図と先例に基づいて裁こうとし、明帝には民の労役を止めるよう諫めた。
受けた恩に命を賭けて報い、戦死者の家族には賜った絹をすべて分けた。動機は他者寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。