三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

孫皓

明君として即位し、暴君に変わった呉の最後の皇帝

孫皓は、字を元宗といい、孫権の孫で、廃太子・孫和の子です。永安7年(264年)、蜀が滅んで交阯が離反する難局のなか、濮陽興と張布に推されて、23歳で即位しました。即位当初は、倉を開いて貧民を救い、宮女を解放して、「明君」と称えられます。しかしまもなく粗暴で疑い深くなり、酒と女に溺れ、自分を推した濮陽興と張布も讒言で誅殺しました。後宮には数千人の女性を入れ、意にそわない者を殺したと伝わります。天紀3年(279年)に晋が攻め込み、翌年3月、後ろ手に縛って棺を持ち、王濬の軍門に降って呉は滅びました。経歴は『三国志』呉書 三嗣主伝をもとにしています。

孫権の孫で、廃太子・孫和の子。264年、23歳で呉の皇帝に即位した。即位当初は仁政で「明君」と称えられたが、やがて残虐な刑を行うようになり、280年、晋に降伏して呉は滅びた。

THE WAY OF LIFE

孫皓の生き方

初めは民を思い、のちに猜疑心と酒に溺れる。孫皓は、表現と挑戦はあっても、構想と動機が極端に低い人物像です。

国の先行きより、自分の気分と面子で動いた。構想と動機の低さに、その危うさを、表現の高さに、言葉の巧みさを重ねています。

持ち味と、その裏側

弁論が巧みで、歌や書にも優れた。降伏後、司馬炎や賈充に切り返した逸話も残る。一方で、人の目をえぐり、顔の皮を剥ぐなどの刑を行い、重臣や側近を次々と処刑して、呉を内側から弱らせたと伝わります。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

赤烏5年(242年)〜太康5年(284年)

呉郡の人。孫権の孫で、父は南陽王の孫和、母は何氏。初名は彭祖、字は元宗。

  1. 赤烏5年(242年)、孫権の孫として生まれた。父は、二宮の変で廃された孫和で、初名は彭祖といった。
  2. 永安7年(264年)、孫休が亡くなると、蜀が滅んで交阯が離反する難局の中、丞相の濮陽興と左将軍の張布らに推されて、23歳で即位した。
  3. 即位当初は、倉を開いて貧民を救い、宮女を解放し、御苑を開放して、「明君」と称えられた。しかし、まもなく粗暴で疑い深くなり、酒と女に溺れた。同年、自分を推した濮陽興と張布を、讒言により誅殺した。
  4. 甘露元年(265年)、都を武昌に遷し、建衡2年(270年)に建業へ戻した。後宮には数千人の女性を入れ、意にそわない者を殺したと伝わる。人の目をえぐる、顔の皮を剥ぐといった刑も行ったとされる。
  5. 諫める者もいた。左丞相の陸凱は、直言して罰せられなかったが、ほかの多くの臣は、処刑や左遷にあった。
  6. 天紀3年(279年)、晋が呉に攻め込んだ。翌年3月、孫皓は、皇太子らを連れ、後ろ手に縛って棺を持ち、王濬の軍門に降った。呉は、ここで滅んだ。孫皓は、帰命侯に封じられた。
  7. 洛陽では、司馬炎の求めに応じて、「爾汝歌」を詠んだ。顔の皮を剥いだ理由を問われると、「主君を弑した不忠者への見せしめ」と答えて、賈充を黙らせたという。太康5年(284年)12月、洛陽で亡くなった。42歳。

主な出典
『三国志』呉書 三嗣主伝(孫皓)、同注引『江表伝』『呉録』、『晋書』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・悪

皇帝として決まりを定める立場にありながら、気分で人を罰し、都を遷し、後宮を広げた姿から、規律は裁量寄りとしています。

気に入らない者を処刑し、後宮に数千人を入れたと伝わる振る舞いから、動機は最も個人寄りに置いています。降伏後の弁舌の巧みさは、別に評価されています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。