CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
孫皎
気前がよく情に厚い、夏口を預かった若き将
孫皎は、字を叔朗といい、孫権の叔父・孫静の子で、孫権の従弟にあたります。若くして護軍校尉となり、二千の兵を預かりました。程普の死後は夏口の守備を任され、濡須などで曹操軍の侵攻を食い止めます。建安20年(215年)には、呂蒙とともに荊州の長沙・桂陽の攻略に加わりました。金銭や財宝を惜しまず人に与え、部下に民間人への乱暴を禁じたといいます。酒席で年長の甘寧を軽く扱って激怒させましたが、孫権に諭されて謝罪し、以後は親しく交わったと伝わります。建安24年(219年)、荊州攻略の直後に病没しました。経歴は『三国志』呉書 宗室伝(孫皎伝)をもとにしています。
孫権の従弟で、孫静の子。夏口を預かって曹操軍の備えに当たり、呂蒙とともに荊州の攻略に加わった。酒席で甘寧と衝突したが、孫権に諭されて謝罪した。
THE WAY OF LIFE
孫皎の生き方
気前がよく、人に分け与える。孫皎は、情の厚さと、仲間を大切にする義を併せ持つ人物像です。
身分や年齢より、心の通い合いを重んじた。信条の高さと、規律の低さに、その温かさと、酒席での気ままさを重ねています。
持ち味と、その裏側
財や恩賞を惜しまない気前のよさと、部下や民を大切にする優しさ。一方で、酒の席で感情が先に出て、年長の甘寧を軽んじるなど、振る舞いが緩んで摩擦を生むことがありました。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
?年〜建安24年(219年)
揚州呉郡富春県の人。字は叔朗。孫権の叔父・孫静の子で、孫瑜の弟。
- 孫静の子で、兄に孫暠・孫瑜、弟に孫奐・孫謙がいる。孫権の従弟にあたる。
- 若くして護軍校尉となり、二千の兵を預かった。
- 程普の死後は夏口の守備を任され、都護・征虜将軍に進んだ。黄蓋や兄の孫瑜が亡くなったあとは、その配下も指揮下に入った。
- 曹操軍の侵攻に対し、濡須などでたびたび迎撃して、これを食い止めた。
- 建安20年(215年)、呂蒙とともに荊州の長沙・桂陽の攻略に加わり、呂蒙は孫皎を三郡に置いて鎮守を任せた。
- 人によく施しをし、金銭や財宝を惜しまずに与えたという。兵士が敵地から女性をさらってくると、衣服を与えて丁重に送り返し、部下に民間人への乱暴を禁じた。
- 酒席で、年下の孫皎が年長の甘寧を軽く扱ったため、甘寧は激怒し、呂蒙の下への異動を申し出た。孫権が孫皎を諭すと、孫皎は甘寧に謝罪し、以後は親しく交わったと伝わる。
- 建安24年(219年)、関羽を討つにあたり、孫権は軍を二つに分けて、孫皎と呂蒙にそれぞれ率いさせようとした。指揮系統の一本化を重んじた呂蒙が反対したため、孫皎は後詰めの任に回ったと伝わる。この場面は『三国志演義』(第75回)にも描かれ、演義の孫皎は、兵糧の補給を担当する。孫皎は呂蒙とともに出陣して、荊州平定に功を立てたが、その直後に病没した。役職と軍勢は、弟の孫奐が継いだ。
主な出典
『三国志』呉書 宗室伝(孫皎伝)、同注引『呉書』、呉書 呂蒙伝、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・善
決まりや席次より、その場の気分と情で動く姿から、規律は裁量寄りとしています。
財を惜しまず人に施し、民への乱暴を戒めた姿から、動機は利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。