三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

孫登

人を許し、徳で慕われた呉の皇太子

孫登は、字を子高といい、孫権の長子です。生母の身分が低かったため、孫権の正室・徐夫人に養子として育てられ、養母を深く敬いました。黄初2年(221年)、孫権が呉王になると皇太子に立てられ、諸葛恪ら「太子四友」とともに、君臣の礼にとらわれず学問や乗馬をともにします。嘉禾3年(234年)に孫権が合肥へ遠征すると、建業に残って留守を預かりました。盗みの犯人を罰するに忍びず、叱って謹慎させるにとどめた話も伝わります。赤烏4年(241年)、33歳で病没し、弟の孫和を太子にすること、陸遜・諸葛瑾ら12名を重く用いることを遺書に残しました。経歴は『三国志』呉書 呉主五子伝をもとにしています。

孫権の長子。呉王のときに皇太子に立てられ、諸葛恪ら「太子四友」とともに学んだ。孫権の留守を預かって統治を務めたが、241年に33歳で病没した。

THE WAY OF LIFE

孫登の生き方

人を責めず、静かに受け止める。孫登は、穏やかな徳と、人の心に寄り添うやさしさを併せ持つ人物像です。

身分の高い立場でも、驕らずに人と接した。信条の高さと、挑戦の低さに、その謙虚さと、守る姿勢を重ねています。

持ち味と、その裏側

相手の立場を思いやる徳と、友人や臣下の言葉に耳を傾ける柔らかさ。一方で、罰を与えるのをためらうなど、厳しさに欠けると見られる場面もあり、自分から大きく踏み出すより、守りの姿勢に傾きました。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

建安14年(209年)〜赤烏4年(241年)

揚州呉郡の人(建業の育ち)。字は子高。孫権の長子。生母は身分が低く、孫権の正室・徐夫人に養育された。

  1. 孫権の長子。生母の身分が低かったため、孫権の正室・徐夫人に養子として育てられた。養母を深く敬い、必ず沐浴してから衣服を着て会ったと伝わる。
  2. 黄初2年(221年)、孫権が呉王に封じられると、皇太子に立てられた。黄武4年(225年)、周瑜の娘を妃に迎えた。
  3. 黄龍元年(229年)、孫権が皇帝に即位すると、改めて皇太子となった。諸葛恪・張休・顧譚・陳表が側近の「太子四友」として仕え、孫登は、君臣の礼にとらわれず、学問や乗馬をともにした。
  4. 嘉禾元年(232年)、弟の孫慮の死に落ち込んだ孫権を見舞い、励ました。
  5. 嘉禾3年(234年)、孫権が合肥へ遠征すると、建業に残って留守を預かり、統治を務めた。
  6. 武昌での逸話として、狩りの際に良田を避けて苗を踏まないよう配慮した話がある。弾丸で撃たれる事件では、犯人とされた者の弾丸を探して比べさせ、別のものだと分かると、その者を釈放した。金の碗が盗まれた件では、近侍の者の仕業と分かったが、罰するに忍びず、叱って謹慎させるにとどめたという。
  7. 赤烏4年(241年)、33歳で病没した。死の直前、弟の孫和を皇太子とすること、陸遜・諸葛瑾ら12名を重く用いることを遺書に残した。陳寿は「しっかりとした志を持ち、徳が豊かな人物」と評している。
  8. 『三国志演義』では、徐夫人の実子とされるなど、設定が変えられている。

主な出典
『三国志』呉書 呉主五子伝(孫登伝)、『三国志演義』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・善

罰を与える決まりより、情と判断で事を収める姿から、規律は中間に置いています。

民を思い、人を罰するより許す姿勢が目立つため、動機は利他寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。