三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

孫峻

諸葛恪を宴で斬り、呉の実権を握った人

孫峻は、字を子遠といい、孫堅の弟・孫静の曾孫で、弓馬に優れ、胆力と決断で知られました。孫権の晩年、全公主と組んで太子の孫和を陥れたと伝わります。252年に孫権が没すると、諸葛恪を後見に推し、自らは武衛将軍として宮中の軍を預かりました。253年、諸葛恪が合肥新城の攻撃に失敗して人望を失うと、謀反を企んでいると孫亮に説き、兵を隠した宴の場に招いて斬ります。丞相・大将軍となって軍権を握り、孫和にも死を賜りました。苛烈な処断と専横で敵が多く、暗殺の企てが相次いで発覚しています。256年9月に没し、後事を従弟の孫綝に託しました。経歴は『三国志』呉書 孫峻伝・諸葛恪伝をもとにしています。

呉の権臣。孫堅の弟・孫静の曾孫。孫権の死後、武衛将軍として政変を主導し、宴席で諸葛恪を殺して丞相・大将軍となった。256年、魏への出兵の最中に病没した。

THE WAY OF LIFE

孫峻の生き方

弓馬に優れ、胆力と決断で知られた。孫峻は、迷わず動く人物像です。

邪魔になる相手には、容赦のない手を打った。動機と規律を低めに置き、その苛烈さを重ねています。

持ち味と、その裏側

弓馬の腕と、一気に事を決める胆力。孫権の遺命の重臣を、短期間で排除してみせた実行力。一方で、苛烈な処断と専横が反発を呼び、陰謀が相次いだ人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

建安24年(219年)頃〜太平元年(256年)

孫堅の弟・孫静の曾孫。祖父は孫暠、父は孫恭。字は子遠。

  1. 孫堅の弟・孫静の曾孫にあたる。祖父の孫暠は、孫策の死後に後継を望んだ件で失脚した人物で、孫峻の出世を妨げることはなかったという。孫峻は弓馬に優れ、胆力と決断で知られた。
  2. 孫権の晩年、全公主(孫魯班)と組んで、太子孫和を陥れたと伝わる。孫和は廃され、末子の孫亮が後継ぎに立てられた。孫権が孫和を呼び戻そうとしたとき、孫峻がそれに反対したという話も、『呉書』の注に見える。
  3. 252年に孫権が没する際、孫峻は諸葛恪を後見に推し、自らは武衛将軍として宮中の軍を預かり、侯に封じられた。
  4. 孫弘が孫権の死を伏せて諸葛恪を除こうとしたとき、孫峻はその計画を諸葛恪に伝え、諸葛恪が孫弘を誅殺した。
  5. 253年、諸葛恪は合肥新城の攻撃に失敗して、人望を失った。孫峻は、諸葛恪が謀反を企んでいると孫亮に説き、兵を隠した宴の場に招いた。『三国志』と『呉暦』は、孫峻が着替えて戻り、捕縛の令を出して諸葛恪を斬ったと伝える。『呉録』は孫亮が場で異を唱えたとするが、裴松之はこれを退けている。
  6. 諸葛恪の一族は滅ぼされ、弟の諸葛融は自殺した。孫峻は丞相・大将軍となり、軍権を握った。滕胤には辞職を認めず、かえって位を上げた。二人はしばしば対立しながら、表向きは和を保ったという。
  7. 孫峻は、諸葛恪の除かれた後に、孫和の璽綬を奪って新都へ移し、使者を遣わして死を賜った。死を命じたのは孫峻で、のちの孫皓ではない。
  8. 苛烈な処断と専横、全公主との関係の噂などで、敵が多かった。254年には呉侯の孫英が、255年には孫儀・張怡・林恂らが、孫峻の暗殺を企てて発覚し、処刑された。全公主は、妹の孫魯育を誣告して殺したとも伝わる。
  9. 255年、魏で毌丘倹・文欽が司馬師に反乱を起こすと、孫峻は寿春へ向かった。しかし東興に着いたところで、乱の失敗を知った。逃れてきた文欽らを受け入れ、高亭で魏軍を破ったものの、諸葛誕が先に寿春に入ったため、4月に撤退した。
  10. 256年、文欽の勧めで魏への大規模な出兵を命じたが、孫峻自身は出陣しなかった。石頭で呂拠の軍の規律に気圧され、病と称して引き上げた。のち、諸葛恪に撃たれる夢を見て恐れ、病に伏したと伝わる。
  11. 太平元年(256年)9月に没した。数え38歳。後事を従弟の孫綝に託した。孫綝が孫亮を廃して孫休に誅されたのち、孫峻の棺は掘り返されて縮小され、孫綝とともに宗室の籍から外された(258年)。『三国志』は、孫峻に子の記録を載せない。

主な出典
『三国志』呉書 孫峻伝・諸葛恪伝・孫和伝・孫亮伝、裴松之注に引く『呉暦』『呉録』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・悪

朝廷の決まりより、自分の判断で相手を除く場面が目立つため、規律は混沌寄りとしています。

政敵を宴で斬り、孫和にも死を命じた記録から、動機は自分と権力の側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。