三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

孫和

父と兄弟の争いに挟まれ、太子の座を失った人

孫和は、字を子孝といい、孫権の三男で、母は王夫人です。赤烏5年(242年)、十九歳で太子に立てられました。しかし、王夫人と全公主の対立が発端となり、魯王孫覇を支持する勢力と太子の側に分かれて争います(二宮の変)。孫権は子弟の不和を憂えましたが、太子を廃して孫亮を立て、諫めた群臣は十数人が誅されたり流されたりしました。太元2年(252年)に南陽王に封ぜられて長沙へ遣わされ、孫権の没後、孫峻の使者に死を賜ります。妃の張氏も後を追って自殺しました。のちに子の孫皓が帝位に就くと、父を文皇帝と追諡しました。経歴は『三国志』呉書 呉主五子伝をもとにしています。

呉の皇子。孫権の三男。赤烏5年に太子となったが、弟の魯王孫覇との争いで廃され、のち孫峻の使者に死を賜った。孫皓の父。

THE WAY OF LIFE

孫和の生き方

太子の座をめぐる対立の中心にいたが、記録の上では、争いを自分から激しくした場面は目立たない。孫和は、巻き込まれながら耐えた人物像です。

廃されたあとも、各地へ移されながら生き延びた。決断や挑戦は控えめに置いています。

持ち味と、その裏側

対立の中でも、自分から事を荒立てない慎み。一方で、味方をまとめて形勢を動かす強さは、記録からは見えにくい人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

建安29年(224年)頃〜建興2年(253年)頃

孫権の三男。母は王夫人。字は子孝。

  1. 孫権の子で、赤烏5年(242年)に十九歳で太子に立てられた。
  2. 王夫人と全公主の対立が発端となり、魯王孫覇を支持する勢力と太子の側に分かれて争った(二宮の変)。孫権は子弟の不和を憂え、「子弟が睦まず、臣下が分かれていては、袁氏のような敗北を招き、天下の笑いものになる」と述べた。
  3. 孫権は太子を廃して孫亮を立てることを考え、朱拠と屈晃が諫めると怒って、陳正・陳象を誅した。孫和は幽閉されたのち、故鄣に移され、諫めて誅されたり流されたりした群臣は十数人にのぼった。
  4. 太元2年(252年)正月、南陽王に封ぜられて長沙へ遣わされた。同じ年の4月に孫権が没し、諸葛恪が政権を握った。
  5. 孫峻が諸葛恪を除いたのち、孫和の璽綬を奪い、新都へ移し、使者を遣わして死を賜った。妃の張氏も、後を追って自殺した。死を命じたのは孫峻であり、孫皓ではない。
  6. 孫休が立つと、孫和の子の孫皓は烏程侯に封ぜられた。孫皓が帝位に就くと、父を文皇帝と追諡し、明陵に改葬した。一方で、孫和の子の孫謙とその母は、孫皓に毒酒で殺された。
  7. 孫和の人柄を直接示す記録は少ない。このページの性格の値は、争いの中での振る舞いから置いた暫定のものである。

主な出典
『三国志』呉書 呉主五子伝(孫和の項)

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・善

命じられた処遇を受けて各地へ移った姿から、規律は中間に置いています。

争いの中で、自分の利益を押し通した記録が見えず、周囲の対立に巻き込まれた姿から、動機はやや他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。