三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

孫亮

十代で孫綝に挑み、廃された呉の少年皇帝

孫亮は、孫権と潘淑の子で、孫権の末子、呉の第2代皇帝です。二宮の変で兄の孫和が廃され、赤烏13年(250年)に皇太子に立てられました。建興元年(252年)に即位しましたが、孫峻・孫綝の専横が続き、太平2年(257年)に親政を試みます。太平3年(258年)、全尚らと孫綝の誅殺を計画しましたが、孫綝が先に動いて失敗し、廃位されて会稽王に落とされました。十六歳でした。永安3年(260年)、侯官侯に降格され、任地へ向かう途中で亡くなります。蜂蜜に鼠の糞が入っていた件で、糞を割って中が乾いているのを見せ、宦官の嘘を暴いた逸話も伝わります。経歴は『三国志』呉書 三嗣主伝と『江表伝』をもとにしています。

呉の第2代皇帝。孫権の末子。二宮事件のあと太子に立てられ、幼くして即位した。孫峻・孫綝の専横に挑んで孫綝の誅殺を図ったが、258年に先手を取られて廃された。260年に亡くなった。

THE WAY OF LIFE

孫亮の生き方

十代のうちに、権臣を除こうと動いた。孫亮は、幼くても自分で判断する人物像です。

鼠の糞の逸話のように、周りの嘘を見抜いた。表現と動機の高さに、その聡明さを重ねています。

持ち味と、その裏側

鼠の糞を割って宦官の嘘を暴いた聡明さと、法の平等を重んじた判断。十代で孫綝に挑んだ胆力。一方で、年が若く、後ろ盾も乏しく、統率の面では実権を握れなかった人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

赤烏6年(243年)〜永安3年(260年)

孫権の末子。生母は潘淑(のち潘皇后)。皇后は全氏。

  1. 赤烏6年(243年)、孫権と潘淑の子として、建業の宮中で生まれた。孫権の末子だった。
  2. 赤烏13年(250年)、二宮事件で兄の孫和が廃されると、11月に皇太子に立てられた。太元元年(251年)夏には、母の潘淑が皇后になった。同じ年の12月に孫権が病に伏すと、諸葛恪と滕胤が補佐役を任された。
  3. 建興元年(252年)、孫権が没して孫亮が即位した。諸葛恪が太傅となり、滕胤が衛将軍・尚書の職を兼ねた。冬に魏が南下したが、諸葛恪が東興でこれを破った。
  4. 建興2年(253年)正月、全氏が皇后に立てられた。春に諸葛恪が合肥新城を囲んで失敗した。10月、大饗の宴で孫峻がクーデターを起こし、諸葛恪が殺された。孫亮は事前に知らされておらず、怒ったとされる。
  5. 孫峻は専横を続け、孫英・孫儀らによる暗殺の計画が、相次いで発覚した。五鳳3年(256年)9月に孫峻が急死すると、従弟の孫綝が実権を継いだ。孫綝は、滕胤と呂拠を討った。
  6. 太平2年(257年)4月、孫亮は正殿に出て、親政を試みた。孫綝との対立は深まり、孫綝は近衛軍を整えて、孫亮の意向に反対した。
  7. 太平3年(258年)、孫亮は全尚・全紀・劉丞らと、孫綝の誅殺を計画した。9月26日、孫綝が先に動き、計画は失敗した。劉丞は殺され、全尚は零陵、全公主(孫魯班)は豫章へ流された。孫綝は孫亮の廃位を宣言し、会稽王に落とした。孫亮は十六歳だった。後継には孫休が立てられた。
  8. 永安3年(260年)、会稽にいた孫亮が再び即位するという流言が広がり、孫亮は侯官侯に降格された。任地へ向かう途中で亡くなった。自殺とされるが、孫休による毒殺とする記録もある。享年は明記されないが、十七〜十八歳ほどになる。呉の滅亡後、太康年間に、戴顕が遺体を改葬したと伝わる。
  9. 『江表伝』は、こんな逸話を伝える。梅の蜜漬けに使った蜂蜜に、鼠の糞が入っていた。宦官が倉庫番を陥れようとしたものだったが、孫亮は糞を割って、中が乾いているのを見せ、後から入れたものではないと示して、嘘を暴いた。
  10. 甥の孫基が御馬を盗んで裁かれたとき、孫亮は法の平等を理由に、一度は退けた。しかし刁玄の進言を受け、宮中の範囲で恩赦をして、孫基を救ったという。兄の孫奮が庶人に落とされたときも、孫亮の求めで章安侯に封じられた。
  11. 陳寿は、孫亮は幼くして良い補佐役を得られず、退位は当然の成り行きだった、と評している。孫魯育の死の真相を知って、孫峻の側近だった朱熊・朱損を責めたのも、孫亮と伝わる。

主な出典
『三国志』呉書 三嗣主伝(孫亮)、裴松之注に引く『江表伝』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・善

法の平等を重んじた逸話はあるが、権臣を除く計画は朝廷の決まりを超えるため、規律は中間に置いています。

法の平等を理由に判断した逸話や、孫綝の誅殺を図った記録から、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

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