CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
孟達
才と風采に恵まれ、去就を揺らし続けた名将
孟達は、字を子度(はじめ子敬)といい、司隷扶風郡の人です。はじめ劉璋に仕え、法正とともに劉備を益州へ迎える使者となり、のち劉備の配下となりました。建安24年(219年)、関羽が樊城を包囲した際に救援へ出なかったとされ、劉備の怒りを恐れて魏に降ります。魏では曹丕に気に入られ、立ち居振る舞いが優雅で、将帥の才・卿相の器と評されて、新城太守を任されました。曹丕の死後は不安を覚え、諸葛亮と連絡を取って蜀への復帰を図りますが、228年、司馬懿の急襲を受けて敗れ、斬られました。経歴は『三国志』蜀書 劉封伝・費詩伝と『晋書』宣帝紀をもとにしています。
劉璋・劉備・曹丕と主を替えた武将。優雅な風采と才を愛されたが、最後は司馬懿に討たれた。
THE WAY OF LIFE
孟達の生き方
立ち居振る舞いが優雅で、人の目を引く。孟達は、才と風采に恵まれ、機を見て動く人物像です。
決断と表現の高さは、主を替えて生き延びた機転と風采に、信条と規律の低さは、去就の軽さに重ねています。
持ち味と、その裏側
状況に応じて立場を切り替える決断力と、人に好まれる風采と話術。一方で、信頼を築く前に疑われやすく、最後の賭けで足元をすくわれます。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
?年〜228年
司隷扶風郡の人。字は子度(はじめ子敬)。
- はじめ劉璋に仕え、法正とともに劉備を益州へ迎える使者となった。劉備が益州を得たのちは、その配下となった。
- 219年、関羽が樊城を包囲した際に救援へ出なかったとされ、劉備の怒りを恐れて魏に降った。
- 魏では曹丕に気に入られ、散騎常侍・建武将軍となり、新城太守を任された。立ち居振る舞いが優雅で、将帥の才・卿相の器と評されたと伝わる。
- 曹丕の死後、立場に不安を覚え、諸葛亮と連絡を取って蜀への復帰を図った。228年、司馬懿の急襲を受けて敗れ、斬られた。
主な出典
『三国志』蜀書 劉封伝・費詩伝、『晋書』宣帝紀
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・悪
主君への忠義より、その場の立場を優先して動く姿から、規律は混沌寄りとしています。
主を替えるたびに、身の安全と立場の確保を優先する動きが目立つため、動機は個人寄りに置いています。善悪を断定するものではありません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。