CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
孔融
信念のままに笑い、権力にも筋を通した名士
孔融は、字を文挙といい、兗州魯国の人で、孔子の子孫とされる名士です。幼いころから聡明で、後世には4歳で兄に梨を譲ったという逸話が語られます。北海国の相となり、黄巾の残党との戦いで苦境に陥ったときは、太史慈や劉備の援軍に救われました。献帝のもとで官職を務め、文才に優れた「建安七子」の一人に数えられます。曹操の政策や人柄に皮肉を交えて反対することが多く、やがて不興を買い、建安13年(208年)に処刑されました。経歴は『後漢書』孔融伝と『三国志』魏書 崔琰伝の注をもとにしています。
孔子の子孫とされる名士。機知に富み、曹操にも率直に反論して処刑された。
THE WAY OF LIFE
孔融の生き方
相手が権力者でも、思ったことを機知でかわしつつ言ってのける。孔融は、鋭い知性と、物怖じしない自由さを持つ人物像です。
学問と文才に誇りを持ち、筋を曲げなかった。表現の高さと規律の低さに、その気ままな強さを重ねています。
持ち味と、その裏側
機知に富んだ話術と、権力にも臆さず意見を言う勇気。一方で、率直さが敵をつくりやすいため、言う相手と場面を選ぶ余裕も大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
永興元年(153年)〜建安13年(208年)
字は文挙。兗州魯国の人。孔子の子孫とされる。
- 孔子の子孫とされる名門の出。幼いころから聡明で、後世には4歳で兄に梨を譲ったという逸話が語られる。
- 北海国の相となり、黄巾の残党との戦いで苦境に陥ったとき、太史慈や劉備の援軍に救われた。
- 献帝のもとで官職を務め、文才にも優れた「建安七子」の一人に数えられた。
- 曹操の政策や人柄に皮肉を交えて反対することが多く、のち曹操の不興を買った。
- 建安13年(208年)、曹操に処刑された。
主な出典
『後漢書』孔融伝、『三国志』魏書 崔琰伝の注
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・善
場の空気や決まりより、自分の信念と機知で動く姿から、規律は裁量寄りとしています。
自分の信念と名分を大切にする姿から、動機は中間よりやや利他寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。