CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
大喬
乱世の中で静かに寄り添った姉
大喬は、廬江郡皖県の名家・橋公の娘で、妹の小喬とともに「国色」と評判でした。建安3年(198年)頃、孫策が皖を攻め落とした際に、孫策が姉(大橋)を、周瑜が妹(小橋)を娶りました。孫策は「橋公の娘たちは流浪したが、私たち二人を婿にできたのだから喜んでよかろう」と冗談を言ったと伝わります。その孫策は建安5年(200年)に亡くなり、大喬は若くして夫を失いました。『三国志演義』では、赤壁の戦いの前、曹操が二人を銅雀台に迎えたがっていると諸葛亮が周瑜に聞かせる場面で名が出ます。経歴は『呉書』周瑜伝と『江表伝』をもとにしています。
皖県の名家の姉妹の姉。孫策の妻となり、その早い死のあとも静かに暮らしたと伝わる。
THE WAY OF LIFE
大喬の生き方
前に出て語るより、そばで静かに支える。大喬は、控えめでありながら、芯の通った落ち着きを感じさせる人物像です。
『演義』では琴や雅な暮らしのイメージで語られることも多く、乱世のただ中でも、心を乱さない佇まいが魅力です。
持ち味と、その裏側
動じずに寄り添い、周りに安心感を与える落ち着き。一方で、遠慮して自分の考えを後回しにしがちなので、大切なことは言葉にして伝えることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末)
廬江郡皖県の人。橋公(『演義』では喬国老)の娘。
- 廬江郡皖県の名家の娘で、妹とともに「国色」と評判だった。
- 建安3年(198年)頃、孫策が皖を攻め落とした際に、孫策が姉(大橋)を、周瑜が妹(小橋)を娶った(『呉書』周瑜伝)。
- 孫策は「橋公の娘たちは流浪したが、私たち二人を婿にできたのだから喜んでよかろう」と冗談を言ったと伝わる(『江表伝』)。
- 孫策は建安5年(200年)に亡くなり、大喬は若くして夫を失った。
- 『三国志演義』では、赤壁の戦いの前に、曹操が二人を銅雀台に迎えたがっているという話で諸葛亮が周瑜を奮い立たせる場面で名が出る。史書では姉妹は「橋(大橋・小橋)」と書かれる。
主な出典
『三国志』呉書 周瑜伝、『三国志』呉書 孫策伝注引『江表伝』、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・中立
家や立場にふさわしい振る舞いを大事にする姿から、規律は守る寄りとしています。
自分の望みを押し出すより、家族や夫の歩みに寄り添う姿から、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。