三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

夏侯玄

制度の改革を説き、司馬氏に刑場で散った名士

夏侯玄は、字を泰初といい、夏侯尚の子で、曹爽のいとこです。学者として名高く、何晏と並び称されました。曹爽が政権を握ると征西将軍として雍州・涼州の軍事を担い、九品官人法を批判して、州郡の制度を根本から改める案を司馬懿に示しています。嘉平元年(249年)に司馬懿が曹爽を失脚させると、洛陽へ呼び戻され、実際の政務からは遠ざけられました。同族の夏侯覇が蜀へ降るとき、誘いには応じなかったと伝わります。嘉平6年(254年)、李豊らが司馬師を除く計画を立て、夏侯玄を大将軍に据えるつもりだったとされ、計画が露見して処刑されました。妹の夫の司馬師が、その政権の主でした。経歴は『三国志』魏書 夏侯玄伝をもとにしています。

魏の名士。夏侯尚の子で、曹爽のいとこ。九品官人法などの改革を論じた。曹爽の失脚後は冷遇され、254年、李豊らの事件に連座して司馬師に処刑された。

THE WAY OF LIFE

夏侯玄の生き方

目先の人事より、制度の根本を変えることを論じた。夏侯玄は、大きな枠組みで物事を考える人物像です。

立場が悪くなっても、考えを曲げなかったと伝わる。構想と信条の高さに、その姿を重ねています。

持ち味と、その裏側

制度全体を見渡す構想力と、評判を集めた教養と風格。一方で、曹爽の周囲にいたという立場の重さから、政権が変わると、身を守る道が狭まった人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

建安14年(209年)〜嘉平6年(254年)

沛国譙県の人。夏侯尚の子。字は泰初。母は曹氏の徳陽郷主。妹に夏侯徽。

  1. 字は泰初、沛国譙県の人。夏侯尚の子で、母は曹氏の徳陽郷主。妹の夏侯徽は司馬師の妻になった。曹爽とはいとこにあたる。
  2. 二十歳のころ、散騎侍郎・黄門侍郎となった。明帝(曹叡)の前で、皇后の弟の毛曾と席を並べるのを恥じたため、羽林監に左遷されたという。
  3. 学者として名高く、何晏と並び称された。『世説新語』は、夏侯玄のことを、日月が胸に入るように朗らかだと評する。これは後世の人物評で、史書の本文ではない。
  4. 曹爽が政権を握ると、散騎常侍・中護軍となり、のち征西将軍として雍州・涼州の軍事を担った。
  5. 九品官人法を批判し、州郡の制度を根本から改める案を、司馬懿に示した。司馬懿は、誰かが推し進めなければ改革は実現しない、と答えたという。夏侯玄は、その答えを消極的だと評した。
  6. 嘉平元年(249年)、司馬懿が曹爽を失脚させると、夏侯玄は洛陽へ呼び戻され、大鴻臚、のち太常に移された。同族の夏侯覇が蜀へ降るとき、夏侯玄は誘いに応じなかったと伝わる。曹爽の側近だったため、実際の政務からは遠ざけられた。
  7. 嘉平6年(254年)、中書令の李豊が、光禄大夫の張緝らと、司馬師を除いて曹芳の権力を取り戻す計画を立て、夏侯玄を大将軍に据えるつもりだったとされる。司馬師は計画を察知し、夏侯玄を捕らえて廷尉の鍾毓に送った。
  8. 夏侯玄・李豊・張緝らは反逆の罪で処刑され、3月のことになる。一族は三族に及んだ。妹の夏侯徽の夫である司馬師が、その処刑を行った政権の主だった。
  9. 裴松之注が引く『魏氏春秋』などには、処刑の場でも夏侯玄が顔色を変えなかった、という逸話が伝わる。細部は史料によって異なる。

主な出典
『三国志』魏書 夏侯玄伝(裴松之注に引く『魏氏春秋』などを含む)、『世説新語』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・善

制度の改革を論じ、現行の決まりをそのまま守る人ではなかったため、規律は中間に置いています。

制度の改善を訴え、曹氏の臣として生きた記録から、動機は他者寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。