CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
周倉
豪快に笑う、関羽の忠義の従者
周倉は、『三国志演義』で創られた、関羽の従者です。『三国志』には周倉という名の人物は記録されていません。『演義』では、もとは黄巾の乱に加わって山賊に身を落としていましたが、曹操のもとを去って劉備へ帰る関羽に出会い、心服して従うようになります。以後は関羽の大刀を担ぎ、そばに仕える豪傑として描かれます。麦城で関羽親子の首を見せられると、城壁から飛び降りて自害したとされ、のちに関帝廟で関平とともに祀られました。
関羽に心服して従った、『演義』の豪傑。大きな刀を担いでそばに仕えたと語られる。
THE WAY OF LIFE
周倉の生き方
細かな理屈より、納得した人にはまっすぐ尽くす。周倉は、荒削りな勢いと、情に厚い義理堅さを併せ持つ人物像です。
元は賊徒の身でも、関羽に心服してからは最期まで離れなかった。感情を隠さない大きな笑いと、揺るがない忠義を重ねています。
持ち味と、その裏側
迷わず飛び込む思い切りと、一度決めた相手に尽くし抜く義理堅さ。一方で、勢いのまま動きやすいため、一呼吸おいて状況を見ることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(『演義』の人物)
『演義』では、黄巾の乱に加わった賊徒の出。
- 『三国志』には周倉という名の人物は記録されておらず、『演義』で創られた人物とされる。
- 『演義』では、もとは黄巾の乱に加わった賊徒で、山賊に身を落としていた。
- 曹操のもとを去り、劉備のもとへ帰る途中の関羽に出会い、心服して従うようになる。
- 関羽の大刀を担ぎ、そばに付き従う従者として描かれる。
- 麦城で関羽親子の首を見せられ、城壁から飛び降りて自害したとされる(演義)。のちに関帝廟で、関平とともに関羽の従者として祀られる。
主な出典
『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
組織の細かな決まりより、主への忠義を優先して動く姿から、規律は裁量寄りとしています。
主と認めた人への義理を果たす姿から、動機は利他寄りの境界に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。