CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
呂氏
父の時代に翻弄された娘
呂氏は、袁術の子との縁談に出され、のち破談となり、下邳の包囲では、父に馬へ縛られて送り出されそうになった呂布の娘です。史書に名は残らず、本人の言葉もありません。ここでの人物像は、父の決断に左右された状況から重ねた読みで、本人の意思ではなく、置かれた立場を手がかりとしています。
呂布の娘。袁術の子との縁談が結ばれ、のち破談となった。史書に名は残らない。
THE WAY OF LIFE
呂氏の生き方
大きな時代のうねりの中で、自分の意思とは別の事情に動かされた。呂氏は、父の決断に左右される立場に置かれた人物像です。
縁談も、送り出しも、父が決めた。本人の言葉は残らないため、表現の高さと規律の低さは、置かれた状況を手がかりにした読みです。
持ち味と、その裏側
困難な局面でも人の目を引く存在感。一方で、周囲の事情に動かされやすい立場だからこそ、自分の望みを言葉にすることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
生没年不詳(後漢末)
并州五原郡九原県の人。呂布の娘。
- 袁術は呂布を味方に引き込もうと、自分の子の嫁に娘を求め、呂布はこれを承知した。
- 建安2年(197年)、袁術が帝を称すると、使者の韓胤がそれを伝え、嫁の迎えを求めた。娘はすでに送り出されていたが、陳珪の説得を受けた呂布は追いかけて連れ戻し、破談にして、韓胤を許の市でさらし首にした。
- 建安3年(198年)、下邳が曹操軍に包囲されると、袁術の救援が来ないのは娘が届いていないからだと恐れた呂布は、娘を綿でくるんで馬の背に縛りつけ、夜のうちに自ら袁術のもとへ送ろうとした。しかし曹操軍の守兵と矢を射合って通れず、城へ戻った(裴松之の注に引く『英雄記』)。『演義』はこの話を、呂布が娘を背負って包囲を破ろうとする場面として描く。
- 後世の作品では、名前や人物像に創作を加えて描かれることがある。
主な出典
『三国志』魏書 呂布伝(裴松之注に引く『英雄記』を含む)、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:混沌・中立
決まりごとより、自分の気持ちと胆力で動く姿から、規律は裁量寄りとしています。
自分の思いより、家と父の事情に動かされる立場から、動機は中間に置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。