三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

呂凱

雍闓の脅しに屈せず、永昌を守り抜いた雲南の名士

呂凱は、字を季平といい、益州永昌郡不韋県の人です。永昌郡に仕えて五官掾功曹となり、223年に劉備が没して雍闓が呉に通じて反乱を起こすと、府丞の王伉とともに郡の境を閉ざして守りました。雍闓から檄文で何度も誘われても、道理を尽くして反論し、漢に立ち返るよう説きました。225年に諸葛亮が南征すると、その功を上奏され、雲南郡の太守となって陽遷亭侯に封じられました。のち、反乱した異民族に殺されました。経歴は『三国志』蜀書などをもとにしています。

字は季平。益州永昌郡不韋県(現在の雲南省保山市)の人。はじめ郡に仕え、五官掾功曹となった。223年、劉備が永安で没すると、雍闓らが呉に通じて反乱を起こし、成都への道が途絶えた。呂凱は府丞の王伉と協力して郡の境を閉ざし、呉が永昌太守に任じた雍闓の侵攻を防いだ。雍闓から檄文で繰り返し誘われたが、道理を尽くして反論した。都護の李厳が6枚の書簡で雍闓を諭しても、雍闓が返したのは「天に二日なく、国に二主なし。いま天下は鼎立し、暦は三つある。遠方の者は惑って、どこに帰属すべきか分からない」という1枚だけだった。その中で、呂凱は逆に雍闓へ、漢の恩を受けた家柄を思い出し、呉に臣従するのは根本を背いて末に走ることだと説いた。威厳と恩愛が郡中に知られていたため、人々は呂凱を信頼し、永昌を守って節義を全うできたとされる。225年に諸葛亮が南征すると、上表して呂凱と王伉の忠を称え、呂凱は雲南郡の太守となり、陽遷亭侯に封じられた。まだ任地に赴かないうちに、反乱した別の異民族に殺されたとされ、子の呂祥が爵位を継いだ。

THE WAY OF LIFE

呂凱の生き方

道が絶たれ、成都の援軍も望めない中で、郡境を閉ざして守り続けた。雍闓の檄文には、脅しに怯えるのではなく、「漢の恩を受けた家柄でありながら、なぜ呉に臣従するのか」と、道理で反論した。

諸葛亮は上表で、「辺境にあって十年余り、忠を保ち、雍闓や高定に東北から迫られても義を守って交わらなかった。永昌の風俗がこれほど敦直とは思いもしなかった」と、呂凱と王伉を称えた。

持ち味と、その裏側

節義を曲げない芯の強さと、文章で人を説く力。陳寿は「威厳と恩恵を内に顕わし、郡中の信頼を得たので、節操を全うできた」と評し、黄権・李恢・馬忠・王平・張嶷と並べて、それぞれの長所で名を立てた人々と称えた。成都の武侯祠の文臣廊には、簡雍・傅肜に続く塑像が並ぶ。『三国志演義』では、王伉とともに永昌を守り、諸葛亮に「平蛮指掌図」を献上し、行軍教授兼道案内として南征に従う。一方、『三国志平話』や『花関索伝』などでは、南征軍と敵対し、関索と一騎討ちをする人物として描かれており、史実とは大きく異なる。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜225年

益州永昌郡不韋県の人。字は季平。

  1. 若い頃: 永昌郡に仕え、五官掾功曹となる。
  2. 223年: 劉備が永安で没すると、雍闓らが傲慢となる。都護の李厳が書簡で諭したが、雍闓は「天に二日なし」と1枚だけ返した。雍闓は呉に降り、呉は雍闓を永昌太守に遥任した。
  3. 223〜224年: 道が絶たれ、成都と隔絶された永昌で、呂凱は府丞の王伉と官民を励まし、境を閉ざして雍闓の侵入を防いだ。雍闓から檄文で繰り返し勧誘されたが、道理を尽くして反論した。
  4. 225年: 諸葛亮が南征に出ると、雍闓はすでに高定の部下に殺されていた。諸葛亮は上表で、呂凱と王伉の忠を称えた。
  5. 225年: 呂凱は雲南郡の太守に任じられ、陽遷亭侯に封じられた。赴任する前に、反乱した異民族に殺された。
  6. のち: 子の呂祥が爵位を継ぎ、晋で南夷校尉となった。子孫は代々、永昌太守を務めたと伝わる。

主な出典
『三国志』蜀書「黄李呂馬王張伝」(呂凱伝)、『蜀世譜』。経歴は Wikipedia「呂凱」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

国が混乱する中でも、定められた官としての立場を守り抜いたことから、規律は秩序寄りに置いています。

孤立しても、郡と民を守ることを選んだ。自分の利益より、守るべきものを優先した行動から、動機は利他に寄せています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。