三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

司馬防

若き曹操を洛陽北部尉に推し、八人の子を厳しく育てた司馬家の父

司馬防は、字を建公といい、河内郡温県の人で、後漢末の官僚です。司馬懿の父にあたります。まっすぐで公正な人柄で、くつろいだ酒席でも威儀を崩さず、『漢書』の名臣列伝を好んで数十万言を諳んじたといいます。若き曹操を洛陽北部尉に推したとされ、のち魏王となった曹操に招かれて酒を酌み交わしました。八人の息子はみな名を知られ、「司馬八達」と呼ばれます。経歴は『三国志』の注などをもとにしています。

字は建公。河内郡温県の人。祖父の司馬量は豫章太守、父の司馬儁は潁川太守を務めた家の出。性格はまっすぐで公正、くつろいだ酒席でも威儀を崩さなかった。『漢書』の名臣列伝を好み、諳んじたものは数十万言に及んだという。若い頃から州郡に仕え、洛陽令・京兆尹を歴任し、年老いてから騎都尉に移った。その後は郷里で志を養い、門を閉ざして暮らした。尚書右丞のとき、若き曹操を洛陽北部尉に推したとされる(『曹瞞伝』。別に梁鵠が推したとする記録もある)。董卓が献帝を長安へ移したとき、治書御史として西へ従う立場にあったが、長男の司馬朗に家族を連れて郷里へ帰らせた。息子たちを厳しく育て、成人してからも「命じられなければ進まず、命じられなければ座らず、問われなければ口をきかない」ほどだった。219年に七十一歳で没した。

THE WAY OF LIFE

司馬防の生き方

曹操が魏王となると、司馬防を鄴に招いて酒を酌み交わし、「わしは今でも、尉が務まるかな」と尋ねた。司馬防は「あのとき大王をお推ししたのは、ちょうど尉にふさわしかったからです」と答え、曹操は大笑いした。

息子たちは成人してからも、父の前では命じられなければ進まず、座らず、問われなければ口をきかなかった。父と子の間は、いつも厳かだったという。八人の息子は、それぞれの字に「達」の字を持ち、みな名を知られて「司馬八達」と呼ばれた。

持ち味と、その裏側

人を見る目と、乱れない家風。宦官の家の出として侮られがちだった若い曹操を推したとされ、その曹操に後年もてなされた。息子の司馬朗・司馬懿・司馬孚らは、いずれも名を知られる人物に育った。董卓の時代には、長男に家族を連れて郷里へ帰らせ、家を守った。一方で、自らは年老いて騎都尉に退き、門を閉ざして世に出ることはなかった。1952年に出土した『司馬芳残碑』の司馬芳(字は文豫)を、司馬防と同一人物とする説がある。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

149年〜219年(享年七十一)

河内郡温県の人。字は建公。

  1. 149年: 河内郡温県に生まれる。祖父は豫章太守の司馬量、父は潁川太守の司馬儁。
  2. 若い頃: 州郡に仕える。『漢書』の名臣列伝を好み、数十万言を諳んじた。
  3. 174年頃: 尚書右丞として、二十歳の曹操を洛陽北部尉に推したとされる(『曹瞞伝』)。『四体書勢』序は、梁鵠が曹操を北部尉にしたと記す。
  4. のち: 洛陽令・京兆尹を歴任する。
  5. 190年: 董卓が献帝を長安へ移す。治書御史として西へ従う立場にあったが、長男の司馬朗に家族を連れて郷里の温県へ帰らせた。
  6. 晩年: 年老いて騎都尉に移り、郷里で門を閉ざして暮らした。
  7. 魏王の曹操と: 鄴に招かれて酒を酌み交わし、「今でも尉が務まるかな」と問われ、「あのときは、ちょうど尉にふさわしかったのです」と答えて、曹操を大笑いさせた。
  8. 219年: 七十一歳で没した。息子は司馬朗・司馬懿・司馬孚・司馬馗・司馬恂・司馬進・司馬通・司馬敏の八人で、「司馬八達」と呼ばれる。
  9. 名前の謎: 1952年に出土した『司馬芳残碑』の司馬芳(字は文豫)を、司馬防と同一人物とする説がある。

主な出典
『三国志』魏書「劉司馬梁張温賈伝」(司馬朗伝)の注に引く司馬彪『序伝』、「武帝紀」の注に引く『曹瞞伝』『四体書勢』序、『晋書』宣帝紀。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

礼法を重んじ、家の中でも父子の礼を厳しく守らせたことから、規律は秩序寄りに置いています。

家の礼を守り、息子たちを育て、乱世でも家を保とうとしたことから、動機は家と身内を守る側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。