CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
司馬昭
静かに、しかし確実に一歩ずつ盤面を動かす人
司馬昭は、字を子上といい、司馬懿の次子です。正始10年(249年)の高平陵の変では、父に従って曹爽を退けました。嘉平7年(255年)に兄の司馬師が亡くなると、大将軍・都督中外諸軍事となり、甘露2〜3年(257〜258年)には寿春の諸葛誕の乱を鎮圧します。甘露5年(260年)、皇帝・曹髦が「司馬昭の心は、道行く人でも知っている」と言って挙兵しましたが、失敗して討たれました。景元4年(263年)、鍾会・鄧艾らに蜀を討たせて劉禅を降伏させ、咸熙元年(264年)に晋王となって、翌年に亡くなります。子の司馬炎が、まもなく晋を建国します。経歴は『三国志』魏書 三少帝紀、『晋書』文帝紀をもとにしています。
司馬懿の次子で、兄・司馬師の後を継いだ魏の大将軍。蜀を滅ぼし、のちの晋の土台を築いた。
THE WAY OF LIFE
司馬昭の生き方
急がず、動くときは確実に。司馬昭は、先を読んで着実に手を打つ冷静さと、大きな局面で決め切る力を併せ持つ人物像です。
人の心を測りながら、周到に準備を進める。構想と統率の高さに、その腰の据わった強さを重ねています。
持ち味と、その裏側
先を読んで布石を打つ計画性と、組織を一つにまとめる統率力。一方で、野心を見抜かれると反発を呼びやすいため、動機を丁寧に伝えることも大切です。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
建安16年(211年)ごろ〜咸熙2年(265年)
字は子上。司隷河内郡温県の人。司馬懿の次子。
- 司馬懿の次子。景初2年(238年)に新城郷侯となり、正始10年(249年)の高平陵の変では父に従って曹爽を退けた。
- 嘉平7年(255年)2月に兄の司馬師が亡くなると、大将軍・都督中外諸軍事となった。
- 甘露2年〜3年(257〜258年)、寿春の諸葛誕の乱を鎮圧した。
- 甘露5年(260年)、皇帝・曹髦が「司馬昭の心は、道行く人でも知っている」と言って挙兵したが、失敗して討たれた。曹奐が新しい皇帝となった。
- 景元4年(263年)、鍾会・鄧艾らに蜀を討たせて、劉禅を降伏させた。咸熙元年(264年)に晋王となり、翌年に亡くなった。子の司馬炎が、まもなく晋を建国する。
主な出典
『三国志』魏書 三少帝紀、『晋書』文帝紀、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・悪
朝廷の制度や手順を整えながら、権力を固めていく姿から、規律は秩序寄りとしています。
家の勢力を高め、権力を固めていく姿から、動機は利己寄りに置いています。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。