CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇
司馬師
感情を見せず、魏の実権を握った冷徹な大将軍
司馬師は、字を子元といい、司馬懿の長子で、弟に司馬昭がいます。父を支え、ひそかに死士三千人を養っていたと伝わります。249年、曹爽が曹芳とともに洛陽を離れると、司馬懿とともに高平陵の変を起こして洛陽の城門を押さえ、司馬氏が魏の実権を握りました。251年に父が亡くなると跡を継ぎ、252年に大将軍となり、254年には曹芳を廃して曹髦を立てます。255年、毌丘倹・文欽の乱を目の病を抱えたまま出陣して鎮圧しましたが、文鴦の奇襲で傷が悪化し、許昌で亡くなりました。享年48。経歴は『三国志』魏書 景帝紀と『魏氏春秋』をもとにしています。
司馬懿の長子。高平陵の変で父とともに実権を握り、のち大将軍として皇帝の曹芳を廃した。
THE WAY OF LIFE
司馬師の生き方
感情を表に出さず、決めたことは確実に進める。司馬師は、冷静な決断力と、周到な計画性を併せ持つ人物像です。
親しみやすさより、すきのなさで人を従わせる。決断と統率の高さ、表現の低さに、その冷たさと頼もしさを重ねています。
持ち味と、その裏側
情勢を見極めて、迷わず決断する冷静さと、事前に備えを整える周到さ。一方で、感情を見せず強引に進めるため、周囲に恐れと反発を生みやすくなります。
IN THE CHRONICLES
史実・物語の歩み(概略)
?年〜正元2年(255年)
司隷河内郡温県の人。字は子元。父は司馬懿、母は張春華。弟に司馬昭。
- 司馬懿の長子。父を支え、ひそかに死士三千人を養っていたと伝わる。
- 249年、曹爽が曹芳とともに洛陽を離れると、司馬懿とともに高平陵の変を起こし、洛陽の城門を押さえた。曹爽らは討たれ、司馬氏が魏の実権を握った。
- 251年に父が亡くなると、撫軍大将軍として後を継ぎ、252年に大将軍となった。同年、呉の東興を攻めて敗れると、敗戦の責任を自ら引き受けようとした。
- 254年、曹芳を皇帝の座から廃し、曹髦を立てた。
- 255年、毌丘倹・文欽が寿春で反乱を起こした。司馬師は目の病を抱えたまま出陣して鎮圧したが、文鴦の奇襲に驚いて傷が悪化したと伝わる。許昌で亡くなり、弟の司馬昭が跡を継いだ。享年48。
- 『三国志演義』では、文鴦の奇襲で傷を負いながら、軍にさとられないよう痛みをこらえて指揮を続け、乱の鎮圧後に亡くなる。
主な出典
『三国志』魏書 景帝紀(司馬師伝)・同注引『魏氏春秋』『世語』、『三国志演義』
SOUL ALIGNMENT
人物像の分類:秩序・悪
魏の官制と軍の仕組みの上で、権力を固めていく姿から、規律は秩序寄りとしています。
国のためとも、一族の権力のためとも読めるため、動機は個人寄りに置いています。善悪を断定するものではありません。
このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。