三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

司馬孚

晋の太宰になっても、魏の臣として生き抜いた司馬懿の弟

司馬孚は、字を叔達といい、司馬防の三男で、司馬懿の弟です。曹操に仕え、最初の官職は曹植の文学掾で、奔放さを諫めたと伝わります。曹叡の時代には度支尚書として、兄の司馬懿の諸葛亮との戦いを後方から支えました。甘露5年(260年)に曹髦が殺されると、遺体にすがって号泣し、王侯の格式で葬る許可を得ます。265年に晋が建つと安平王・太宰に任じられましたが、元帝の手を取り、生涯魏の臣下であり続けると涙ながらに述べたと伝わります。泰始8年(272年)に亡くなりました。経歴は『晋書』安平献王孚伝をもとにしています。

司馬防の三男で、司馬懿の弟。字は叔達。曹操の時代から魏に仕え、曹髦が殺されたときは遺体にすがって泣き、王侯の礼で葬るよう取り計らった。晋が建つと安平王・太宰となったが、生涯魏の臣であると述べたと伝わる。272年に没した。

THE WAY OF LIFE

司馬孚の生き方

曹植の奔放さを諫め、曹操の葬儀では曹丕の哭礼が激しすぎると諫めた。相手が誰でも言うべきことを言う人物像で、信条を高く置いています。

高平陵の変では宮城の門を押さえ、のちに曹髦の遺体にすがって泣いた。兄の家の側に立ちながら、魏への思いも手放さなかった人物像です。

持ち味と、その裏側

曹操から曹奐まで、五代の魏の主に仕えた誠実さ。後方を支える実務の力。人を恨んだことがないと『晋書』が伝える温厚さ。一方で、司馬氏が魏を奪う流れを止めることはできず、決断や挑戦は控えめに置いています。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年未詳〜泰始8年(272年)

河内郡温県の人。司馬防の三男。字は叔達。兄は司馬朗・司馬懿。甥に司馬師・司馬昭。諡は献。

  1. 河内郡温県の司馬防の三男として生まれた。兄は司馬朗と司馬懿。生年は伝わらないが、享年93とされる(日本語版Wikipedia)。
  2. 曹操に仕え、最初の官職は曹植の文学掾だった。曹植の奔放さを諫め、曹植は後に非を認めて、司馬孚を厚く遇したという。
  3. 曹操の葬儀では、曹丕の哭礼が激しすぎるとして諫めたと伝わる。
  4. 明帝(曹叡)のとき、度支尚書に抜擢された。兄の司馬懿の対諸葛亮戦を、後方から支えた。『晋書』は、明帝が「わしは二人の司馬懿を得た」と言ったと伝える。
  5. 正始10年(249年)の高平陵の変では、尚書令として洛陽の宮城の城門を押さえた。曹爽を除いたあと、嘉平3年(251年)2月に司空、7月に太尉となった。
  6. 嘉平5年(253年)7月、20万の兵を率いて合肥新城の包囲を解き、諸葛恪を撤退させた。
  7. 甘露5年(260年)、曹髦が殺されると、司馬孚は遺体にすがって号泣した。司馬昭が、太后の命として庶人の格式で葬ろうとしたとき、司馬孚はこれに反対した。皇太后に上奏して、王侯の格式で葬る許可を得た。
  8. 泰始元年(265年)、司馬炎が即位し、元帝(曹奐)が金墉城に移された。司馬孚は曹奐の手を取り、生涯魏の臣下であり続けると、涙ながらに述べたと伝わる。司馬炎は安平王に封じ、太宰に任じたが、司馬孚は鬱々として楽しまなかったという。
  9. 泰始8年(272年)2月に没した。享年93。諡は献。葬儀は後漢の東平王劉蒼の例にならい、国葬の扱いで行われた。のちの斉王司馬攸の葬儀も、これにならったとされる。
  10. 『晋書』は、司馬孚を温厚で誠実な人物とし、人を恨んだことがないと伝える。ただし『晋書』は晋の側が編んだ史書で、魏への忠節を美化している可能性は残る。

主な出典
『晋書』安平献王孚伝、『三国志』魏書、日本語版Wikipediaの記述

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・善

礼や筋道を重んじる行動が多く、規律は高めに置いています。

曹植や曹丕を諫めた逸話、曹髦の葬礼をめぐる行動から、動機は他者寄りの側に置いています。ただし多くは『晋書』の記述です。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

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