三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

司馬乂

帝を奉じて洛陽の三日の市街戦に勝ち、兄弟の大軍を退けながら、味方に売られて焼かれた長沙王

司馬乂は、字を士度といい、晋の武帝・司馬炎の六男で、長沙王です。背が高く、明るく決断が早く、人並み外れた力を持ちながら、へりくだって士を迎えたと伝わります。八王の乱のさなか、302年に専権をふるう斉王・司馬冏を、恵帝を奉じた三日の市街戦で討ち、実権を握りました。翌年からは、弟の成都王・司馬穎と、一族の河間王・司馬顒の大軍を相手に洛陽を守り抜き、優勢に立ちます。しかし304年、味方の東海王・司馬越に捕らえられて金墉城に送られ、敵将の張方に焼き殺されました。二十八歳でした。経歴は『晋書』長沙王乂伝をもとにしています。

字は士度。晋の武帝・司馬炎の六男で、母は審美人。同じ母の兄に楚王・司馬瑋がいる。289年に長沙王に封じられた。290年、十五歳で父を亡くすと、慕う思いは礼を超え、ほかの王たちが近道で楚王を迎えるなか、一人だけ陵に行き、泣き叫びながら待った。291年、楚王が汝南王・司馬亮と衛瓘を殺したとき、東掖門を守っていたが、偽の詔だと告げる旗が出ると、弓を投げ捨てて泣いた。楚王が誅されると、同じ母の弟として常山王に落とされ、封国へ移された。301年、趙王・司馬倫が帝位を奪うと、国の兵を率いて斉王・成都王らの挙兵に加わり、撫軍大将軍、のち驃騎将軍となって長沙王に戻った。302年、専権をふるう斉王・司馬冏を、恵帝を奉じた三日の市街戦で討ち取り、その一党二千余人を誅した。303年、河間王・司馬顒と成都王・司馬穎が大軍で洛陽を囲むと、大都督としてこれを防ぎ、八月から十月まで戦い続けた。304年正月までに、前後六、七万の敵を斬り、あるいは捕らえた。城中は飢えたが、将兵は心を一つにして死力を尽くそうとし、敵将の張方は勝てないと見て長安へ帰ろうとした。しかし東海王・司馬越は事が成らないと考え、殿中の将とひそかに司馬乂を捕らえて金墉城へ送った。正月二十七日(『資治通鉴』は二十八日)、張方の部将に焼き殺された。二十八歳。死後、晋の懐帝によって「厲」と諡された。

THE WAY OF LIFE

司馬乂の生き方

302年、斉王の部将・董艾に襲われると、身の回りの百人余りを率い、車の前の幕を手で切り払って、屋根のない車で宮城へ駆け込み、門を閉ざして恵帝を奉じた。斉王の側が「長沙王が詔を偽っている」と叫ぶと、司馬乂は「大司馬(斉王)が謀反した。味方する者は五族を誅する」と応じた。その夜、城中は矢が雨のように飛び、火が天を焦がした。三日の戦いの末に斉王を捕らえると、恵帝は哀れんで命を助けたそうな顔をしたが、司馬乂は左右を叱って引き出させ、閶闔門の外で斬った。

捕らえられて金墉城へ送られたとき、上表して「臣は身も命も惜しみません。ただ、大晋が衰え、宗室の枝葉が切り尽くされ、陛下が孤立してしまうことを思うのです。臣が死んで国が安らぐなら、それもよいでしょう。けれども、悪人を喜ばせるだけで、陛下には何の益もないのではと恐れます」と述べた。焼かれるときの叫びは周りに響き、三軍で泣かない者はなかった。葬送には部下の誰も行こうとしなかったが、かつての属官・劉佑だけが、歩いて棺の車に付き添い、泣き叫んで息も絶えそうだった。

持ち味と、その裏側

決断の速さと、兵を一つにまとめる力。『晋書』は「身の丈七尺五寸、明るく決断が早く、才力は人に絶し、へりくだって士を迎え、評判が高かった」と記す。洛陽の籠城では、飢えの中でも将兵が心を合わせ、兄弟の大軍を何度も退けた。『晋書』の論は「長沙王の才力は人に絶し、忠義の気概は世に抜きん出ていた。掖門で弓を投げ、宮城へ車を駆った姿には、烈士の風があった」と称え、「国を奉じて始めから終わりまで悪事はなく、あと一歩で功を逃し、むごたらしく殺された」と惜しんだ。一方で、何法盛の『晋中興書』や『世説新語』は「小人に親しみ、君子を遠ざけ、朝廷の者はみな身の危険を感じていた」と記し、評価は大きく分かれる。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

277年〜304年(享年二十八)

河内郡温県の人。洛陽に生まれる。字は士度。

  1. 277年: 晋の武帝・司馬炎の六男として、洛陽に生まれる。母は審美人。同じ母の兄に楚王・司馬瑋。
  2. 289年: 長沙王に封じられ、員外散騎常侍となる。
  3. 290年: 父の武帝が没する。十五歳。陵で泣きながら楚王を待った。歩兵校尉となる。
  4. 291年: 楚王が汝南王・司馬亮と衛瓘を殺す。東掖門を守っていたが、偽の詔だと知って弓を投げて泣いた。楚王が誅されると、常山王に落とされて封国へ移る。
  5. 301年: 趙王・司馬倫が帝位を奪う。国の兵を率いて斉王・成都王らに加わり、成都王の後詰めとなった。抵抗した房子県令と、背こうとした常山内史・程恢とその五人の子を斬った。洛陽で撫軍大将軍となり、七月に驃騎将軍・開府となって長沙王に戻る。
  6. 斉王の専権のもとで: 王豹が「王たちを封国へ帰せ」と斉王に説くと、司馬乂は「骨肉の仲を裂く小僧を、なぜ殺さないのか」と勧め、王豹は殺された。王豹は死に際に「わが首を大司馬の門に懸けよ。斉が攻められるのを見届けよう」と言った。
  7. 302年: 河間王の檄に応じて内応する。斉王に襲われると宮城に駆け込み、恵帝を奉じて三日の市街戦の末に斉王を討った。一党二千余人を誅し、三族を滅ぼした。
  8. 303年: 河間王・成都王が洛陽を攻める。送り込まれた刺客を、部下の王矩が見破って斬った。大都督として八月から十月まで戦い、成都王と手紙をやり取りして兵を引くよう説いたが、聞き入れられなかった。成都王の大軍を率いたのは陸機だった。
  9. 304年正月: 前後六、七万の敵を斬り、あるいは捕らえ、優勢に立つ。しかし東海王・司馬越に捕らえられ、金墉城へ送られる。二十七日(『資治通鉴』は二十八日)、張方の部将・郅輔に焼き殺された。二十八歳。
  10. 死後: 部下の誰も葬送に行かないなか、劉佑だけが付き添って泣いた。張方は劉佑を義士として咎めなかった。のちに懐帝が「厲」と諡した。
  11. 謡: 司馬乂が政を執りはじめた頃、洛陽で「草木が芽吹けば、長沙を殺す」という謡がはやり、正月に殺されて、その通りになったという。

主な出典
『晋書』長沙厲王乂伝(巻五十九)、同 斉王冏伝・劉暾伝・王豹伝、『資治通鉴』巻八十四、『世説新語』、何法盛『晋中興書』。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

弓を投げて偽の詔に従ったことを悔い、最後まで皇帝を奉じて礼を欠かさなかったことから、規律はやや秩序寄りに置いています。

最後まで恵帝を奉じて礼を欠かさなかった一方、自分たちの立場を脅かす王豹の処刑を勧め、斉王の一党を三族まで滅ぼしたことから、帝室への忠と自らの権勢のどちらとも定めにくく、動機は中立に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

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