三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

劉琰

劉備の同姓の宴客。車騎将軍まで昇り、妻への疑いで処刑された蜀の重臣

劉琰は、字を威碩といい、豫州魯国の人です。劉備と同じ劉姓で、風采がよく談論が巧みだったため、劉備に気に入られて常に客人として側にいました。劉禅の代には車騎将軍にまで昇りますが、政務には関わらず、豪奢な暮らしと酒で知られます。建興12年(234年)、妻の胡氏が太后の宮中に一か月とどめられると、劉禅との不義を疑って胡氏を殴らせ、その罪で処刑されました。経歴は『三国志』蜀書 劉琰伝をもとにしています。

字は威碩。豫州魯国の人。劉備が豫州にいたころ、劉備と同姓であること、風采がよいこと、談論が巧みなことから従事に召され、厚く遇されて、常に客人として従った。建安19年(214年)に劉備が益州を平定すると、固陵太守となった。劉禅の代には都郷侯に封じられ、序列は李厳に次ぎ、衛尉・中軍師・後将軍を経て車騎将軍に進んだ。ただし国政には関わらず、兵千余を率いて諸葛亮に随い、意見を述べるだけだった。車や衣服、飲食は贅沢で、侍婢は数十人、みな音楽をこなし、『魯霊光殿賦』まで暗誦させた。建興10年(232年)、魏延と言い争って諸葛亮に責められ、成都へ帰されて失意の日々を送った。建興12年(234年)正月、妻の胡氏が太后に新年を賀しに参内し、太后に一か月とどめられると、劉琰は劉禅との不義を疑い、配下の役卒を呼んで胡氏を殴らせ、履で顔を打たせて離縁した。胡氏が訴え出て劉琰は投獄され、「兵卒は妻を打つ者ではなく、顔は履を受ける所ではない」と議せられて、市で処刑された。

THE WAY OF LIFE

劉琰の生き方

劉備と同じ劉姓で、見栄えがして話がうまかった。それが厚遇のきっかけだったが、車騎将軍の位に上っても、国政に加わった記事はほとんどない。

酒に荒れ、人と争い、最後は妻への疑いで自分を壊した。陳寿は、劉琰を含む旧臣たちの災いは、すべて自分で招いたものだと評した。

持ち味と、その裏側

人当たりのよさと談論の巧みさで、劉備にも後主にも重んじられ、李厳に次ぐ席にまで昇った。弾劾の上奏では李厳を罷免する連名の筆頭にもなっている。一方で、酒と贅沢、人との争いが重なり、魏延との件では自ら「酒荒の病」を認める書簡を諸葛亮に送った。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜234年

豫州魯国の人。字は威碩。劉備と同姓。

  1. 豫州魯国の人。劉備が豫州にいたころ、同姓であること、風采がよいこと、談論が巧みなことから従事に召され、厚遇されて、常に客人として従った。
  2. 建安19年(214年)、劉備が益州を平定すると、固陵太守となった。
  3. 劉禅の代に都郷侯に封じられ、序列は李厳に次いだ。衛尉・中軍師・後将軍を経て、車騎将軍に進んだ。ただし国政には関わらず、兵千余を率いて諸葛亮に随い、意見を述べるだけだった。
  4. 車や衣服、飲食は贅沢で、侍婢は数十人、みな音楽ができ、『魯霊光殿賦』まで暗誦させた。
  5. 建興9年(231年)、李厳が兵糧輸送の失敗をごまかそうとした件で、諸葛亮らとともに連名で上奏し、李厳の罷免を求めた。劉琰は筆頭に名がある。
  6. 建興10年(232年)、前軍師の魏延と不和になって言い争い、言葉が荒唐だったため、諸葛亮に責められた。劉琰は書簡で「酒荒の病があり、人々の議論が絶えない」と詫びた。諸葛亮は劉琰を成都へ帰し、官位はそのままだった。劉琰は失意のまま、ふるまいが乱れた。
  7. 建興12年(234年)正月、妻の胡氏が太后に新年を賀しに参内した。太后は胡氏を一か月宮中にとどめてから帰らせた。胡氏は美人だった。劉琰は劉禅との不義を疑い、配下の役卒を呼んで胡氏を打たせ、履で顔を打たせてから離縁した。
  8. 胡氏が事情を訴え出ると、劉琰は罪に問われて投獄された。法官は「兵卒は妻を打つ者ではなく、顔は履を受ける所ではない」と議し、劉琰は市で処刑された。以後、大臣の妻や母が参内して祝賀する習わしは絶えた。
  9. 『三国志演義』では登場する場面が改められ、妻の件は黄皓が政に関わる時期に移されている。

主な出典
『三国志』蜀書「劉彭廖李劉魏楊伝」(劉琰伝)。経歴は Wikipedia の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・悪

贅沢や酒に流れ、感情で人を傷つけた記事が目立つことから、規律は混沌寄りに置いています。

高位にありながら国政への関心が薄く、贅沢と酒に流れた記事が目立つことから、動機は自己寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。