三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

劉巴

誇り高く張飛を寄せつけず、蜀の財政を整えた尚書令

劉巴は、字を子初といい、荊州零陵郡烝陽県の人です。才能に優れ、劉表から招かれても応じず、208年の劉表の死後は劉備に従わず、曹操に仕えました。赤壁の敗北のあと、交州を経て益州へ逃れ、劉璋に身を寄せます。劉備が益州を治めると、以前の罪を詫びて咎められず、諸葛亮の推薦で登用されました。張飛が訪ねても、武人と話す気はないと応じなかったという逸話があります。軍費に困った劉備に、直百銭の鋳造と官営の市場を進言し、法正の死後は尚書令となりました。章武2年(222年)に病没し、質素な暮らしを守ったといいます。経歴は『三国志』蜀書 劉巴伝をもとにしています。

荊州零陵の人。劉表・曹操・劉璋と身を寄せ先を変え、のち劉備に仕えて尚書令となった。張飛の訪問を断った逸話と、直百銭による財政再建で知られる。

THE WAY OF LIFE

劉巴の生き方

群れず、人に媚びず、自分の流儀を貫く。劉巴は、揺るがない信条と、物事を設計する構想力を併せ持つ人物像です。

口数は少なく、派手な振る舞いもしない。構想と信条の高さと、挑戦と統率の低さに、その静かな誇りと、前に出ない慎み深さを重ねています。

持ち味と、その裏側

お金の流れや物価を読む構想力と、質素に徹する清廉さ。一方で、気位が高く、相手によっては冷たく見えて、張飛のような武人と衝突しやすく、人の輪を広げるのは苦手でした。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

?年〜章武2年(222年)

荊州零陵郡烝陽県の人。字は子初。父は江夏太守の劉祥。

  1. 荊州零陵郡の人。才能に優れ、荊州牧の劉表から招かれたが、応じなかった。『零陵先賢伝』は、劉表に疎まれて殺されそうになったことも伝える。
  2. 建安13年(208年)、劉表の死後に曹操が荊州へ進むと、劉巴は多くの人士のように劉備に従わず、曹操に仕えた。長沙など南の三郡の平定を命じられたが、赤壁の敗北で、劉備の勢力に対応できず、交州へ逃れた。
  3. 交州では、姓を張に改めたが、太守の士燮と折り合いが悪く、益州へ移って劉璋に身を寄せた。劉璋が劉備を招こうとしたとき、黄権とともに強く反対し、病と称して閉じこもった。
  4. 劉備が益州を治めると、以前の罪を詫びたが、咎められなかった。諸葛亮の推薦で、左将軍西曹掾となった。
  5. 張飛が劉巴を訪ねたとき、劉巴は、武人と話す気はないと応じなかった。諸葛亮が取りなし、孫権は、この態度を、人物を疑われないものとして弁護したと伝わる。
  6. 成都入城後、劉備の軍費に困ると、劉巴は、百銭の価値を持つ貨幣(直百銭)を鋳造し、官営の市場を開くよう進言した。『零陵先賢伝』は、数ヶ月で府庫が満ちたと伝えるが、実際の価値は五銖銭の二、三枚ほどで、物価の上昇を招いたともいう。
  7. 建安24年(219年)、劉備が漢中王になると尚書となり、法正の死後は尚書令となった。法正らとともに、『蜀科』の制定にも関わった。
  8. 劉備の皇帝即位の際、天地への報告文や任命書の文を作った。一方で、時期尚早だと、雍茂とともに諫めたと『零陵先賢伝』は伝える。
  9. 章武2年(222年)に病没した。質素な暮らしを守り、嫉みを避けるため、贅沢をしなかったという。

主な出典
『三国志』蜀書 劉巴伝、同注引『零陵先賢伝』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:真なる中立

蜀科の制定などの決まりに関わりつつ、特定の勢力や立場に縛られなかった姿から、規律は中間に置いています。

自分の誇りを守る面と、蜀の財政を整える務めの両面が見えるため、動機は中間に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。