三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

劉封

劉備の養子として育ち、上庸で孤立した若き将

劉封は、もとは寇氏の子で、長沙の劉氏の甥にあたり、劉備の養子になりました。まだ劉備に跡継ぎがいなかったため迎えられたとされ、建安17年(212年)頃の益州攻めに加わり、武芸も気力も人に優れて戦功を立てます。建安24年(219年)には、孟達とともに上庸を取りました。同じ年、樊城の関羽が援軍を求めましたが、応じなかったと伝わり、関羽は敗れて討たれます。孟達とも折り合いが悪く、孟達は魏へ出奔しました。成都へ逃げ帰った劉封は、諸葛亮の進言もあって死を賜ります。「孟達の言葉に従っておけば」と嘆き、劉備はこれを聞いて涙を流したと伝わります。経歴は『三国志』蜀書 劉封伝をもとにしています。

劉備の養子。入蜀で武功を立て、孟達とともに上庸を取った。関羽の救援要請を断り、孟達の離反を招いたのち、成都で死を賜った。

THE WAY OF LIFE

劉封の生き方

武芸も気力も人に勝り、先陣を切る。劉封は、強い決断力と、人目を引く存在感を併せ持つ人物像です。

若さと才気のぶん、周りへの気遣いが追いつかなかった。決断・挑戦・表現の高さと、構想と信条の低さに、その勢いと、孤立しやすい危うさを重ねています。

持ち味と、その裏側

武勇に優れ、前に出て戦う勇敢さ。一方で、孟達との対立や、関羽の救援を断った判断など、先を見て人心をまとめる力が足りず、嫌疑を受ける立場に追い詰められても、手を打てませんでした。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

?年〜建安25年(220年)ごろ

もとは寇氏の子で、長沙の劉氏の甥にあたる。劉備の養子。

  1. もとは寇氏の子で、長沙の劉氏の甥だった。荊州にいた劉備に、まだ跡継ぎがいなかったため、養子に迎えられた(劉禅の誕生前)。
  2. 建安17年(212年)頃、劉備の益州攻めに加わった。二十歳あまりで、武芸も気力も人に優れ、諸葛亮・張飛らとともに各地で戦功を立て、益州の平定後、副軍中郎将となった。
  3. 建安24年(219年)、孟達が房陵を攻めたあと、劉備は劉封を漢中から派遣して、上庸への進出を支援させた。劉封と孟達は、申耽を降し、劉封は副軍将軍に進んだ。
  4. 同じ年、樊城の関羽が援軍を求めたが、劉封と孟達は、占領したばかりで動揺があるとして、応じなかったと伝わる。関羽は敗れて討たれ、劉備は二人を深く恨んだ。
  5. 劉封は孟達とも折り合いが悪く、孟達の軍楽隊を取り上げた。孟達は魏へ出奔し、夏侯尚・徐晃らとともに、劉封を攻めた。
  6. 申耽の弟の申儀らが背き、劉封は成都へ逃げ帰った。劉備は、孟達を魏に走らせたことと、関羽を救わなかったことを責めた。諸葛亮は、劉封の剛勇は、次代の劉禅では制御しにくいと進言し、劉封は死を賜った。
  7. 自決の際、劉封は「孟達の言葉に従っておけば」と嘆き、劉備はこれを聞いて涙を流したと伝わる。陳寿は、嫌疑を受ける立場にありながら、手を打たなかったことを批判している。
  8. 子の劉林は、咸熙元年(264年)、蜀の滅亡後に河東郡へ移った。『三国志演義』では、劉禅の誕生後に養子となる設定に変えられている。

主な出典
『三国志』蜀書 劉封伝・諸葛亮伝・関羽伝、魏書 明帝紀注、『三国志演義』

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・中立

上庸で独自の判断を重ね、軍楽隊を取り上げて孟達との摩擦を招くなど、決まりより自分の判断で動いた姿から、規律は裁量寄りとしています。

戦功を求める若さと、立場を守る警戒心の両方が見えるため、動機は中間に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。