三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

劉宏

売官で金を集め、西園に親軍を築いた後漢の皇帝(霊帝)

劉宏は、後漢の第12代皇帝(霊帝)で、章帝の子孫、河間王家の出です。建寧元年(168年)に桓帝が崩じると、男子がいなかったため迎えられ、数えで12歳で即位しました。宦官が政を握るなか、党人を禁錮し、光和元年(178年)には官職を売る売官を始めます。黄巾の乱の年に党人を赦し、中平5年(188年)には州牧を復活させて、皇帝直属の西園八校尉を置きました。張譲を「わが父」と呼んだという話が伝わります。中平6年(189年)、劉弁と劉協のどちらを太子にするか定めないまま崩じ、のち何進と宦官の争いを招きました。後世は暗愚な皇帝の代名詞とされましたが、近年は再評価を試みる研究もあります。経歴は『後漢書』霊帝紀と『資治通鑑』をもとにしています。

後漢の第12代皇帝(霊帝)。桓帝に子がなく、12歳で迎えられて即位した。宦官が政を握る中、党人を禁錮し、官職を売り、黄巾の乱の年に党人を赦した。晩年は西園八校尉を置き、州牧を復活させたが、後継を定めないまま189年に崩じた。

THE WAY OF LIFE

劉宏の生き方

宦官を『父』『母』と呼んだと伝わる。実務を任せ切る人物像で、統率と決断は低めに置いています。

鴻都門学や熹平石経、西園八校尉のように、前例のない試みも打ち出した。構想と挑戦は中間以上に置いています。

持ち味と、その裏側

書画や文芸を好み、鴻都門学を設けて、熹平石経の刊刻も進めた。晩年には州牧の復活と西園八校尉で、軍の立て直しを図った。一方で、宦官への依存と売官で朝廷の信頼を損ね、後継も定めないまま世を去った人物です。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

永寿2年(156年)頃〜中平6年(189年)

章帝の玄孫。解瀆亭侯劉萇の子。母は董太后。皇后は何氏。子に劉弁・劉協。

  1. 章帝の子孫で、河間王家の出。解瀆亭侯劉萇の子として生まれた。生年は156年とされるが、157年とする説もある。
  2. 建寧元年(168年)1月25日に桓帝が崩じた。男子がなく、竇皇后(のち太后)と大将軍の竇武、太尉の陳蕃らに迎えられて、2月17日に即位した。数えで12歳だった。
  3. 同年、竇武と陳蕃が宦官の排除を図ったが露見した。宦官側が先に動き、陳蕃は殺され、竇武は自殺に追い込まれた。曹節・王甫らが権力を握った。
  4. 建寧2年(169年)、宦官は党人を捕らえて殺した。第二次党錮の禁である。熹平元年(172年)に侯覧が罪を得て自害し、光和2年(179年)には、王甫が陽球に弾劾されて死罪となった。曹節は反撃して陽球らを葬り、181年まで存命だった。
  5. 熹平4年(175年)、蔡邕らが尽力した熹平石経が作られた。光和元年(178年)には売官が始まり、任官後に分割で納める方式もあった。崔烈・樊陵・曹嵩らが、官職を買った例として知られる。177年に設けた鴻都門学は、書画に優れた者を集めたもので、蔡邕が批判したが聞き入れられなかった。
  6. 光和7年(184年)、張角の黄巾の乱が起こった。霊帝は宦官の呂強の進言で党人を赦した。何進・皇甫嵩・朱儁・盧植・董卓らが討伐に当たり、同年に張角が病没して、乱は下火になった。のちに張燕・張純・韓遂らが各地で挙兵した。
  7. 中平5年(188年)、劉焉の提案で州牧を復活させた。同年、自ら『無上将軍』を称し、皇帝直属の西園八校尉を置いた。信任する宦官の蹇碩に、何進・袁紹・曹操らを統べさせた。
  8. 張譲を『わが父』、趙忠を『わが母』と呼んだという話が、『資治通鑑』に伝わる。十常侍と呼ばれる宦官たちは、霊帝のもとで政を専断した。
  9. 中平6年(189年)4月、霊帝が崩じた。数えで34歳とされる(『後漢書』)。何皇后の子の劉弁と、王美人の子の劉協のどちらを太子にするか定めないままで、のち何進と宦官の争いを招いた。
  10. 後世は桓帝と並べて、暗愚な皇帝の代名詞とした。蓋勲は、奸臣に惑わされただけだと評した。石井仁らは、売官を軍の財源や帝室財政の回復策とみて、再評価を試みている。曹操は、西園の軍制を引き継いだとされる。

主な出典
『後漢書』霊帝紀、『資治通鑑』、日本語版・英語版Wikipediaの記述

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・悪

売官や、後継を定めないままの崩御から、朝廷の決まりを保つ力は低めに置いています。

売官や宮中の造営で私財を集めた記録が多く、動機は自分寄りの側に置いています。ただし売官を軍の財源とみる研究もあり、評価は分かれます。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

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