三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

公孫度

遼東で独立し、海を渡って東萊を攻めた遼東の支配者

公孫度は、字を升済といい、幽州遼東郡襄平県の人です。中平6年(189年)、董卓配下の徐栄の推薦で遼東太守となり、自分の出自を軽んじた地元の名族を先に罪に問い、百余家を滅ぼして支配を固めました。初平元年(190年)に中原の混乱を見て、王位を狙う考えを側近に語り、海を隔てた東萊郡に軍を送って諸県を攻略します。遼東侯・平州牧を名乗り、高句麗や烏桓を討って功績を挙げました。曹操から贈られた武威将軍・永寧郷侯の印綬は、不満でしまい込んだといいます。建安9年(204年)に没し、子の公孫康が後を継ぎ、孫の公孫淵の代まで遼東の公孫氏の支配が続きました。経歴は『三国志』魏書 公孫度伝をもとにしています。

遼東郡襄平県の人。字は升済。董卓配下の推薦で遼東太守となり、地元の名族を滅ぼして支配を固めた。遼東侯・平州牧を名乗り、高句麗や烏桓を討った。204年に没し、子の公孫康が後を継いだ。

THE WAY OF LIFE

公孫度の生き方

自分の出自を軽んじた名族を、先手を打って滅ぼした。決断と統率は高く、他者への配慮は低い人物像です。

曹操から授かった印綬を、不満で武器庫にしまい込んだ。漢の官位より、自分の支配を優先した人物像です。

持ち味と、その裏側

中原の混乱を見て、辺境の遼東を独立勢力にまとめた判断力。海を隔てた東萊へ軍を送った行動力。高句麗や烏桓を討って、地域の支配を固めた統率力。一方で、名族を力で滅ぼす手法は、規律や他者への配慮の面で低く置いています。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

150年〜建安9年(204年)

幽州遼東郡襄平県の人。字は升済。初名は豹。父は公孫延。子に公孫康・公孫恭。孫に公孫淵・公孫晃。

  1. 遼東郡襄平県の人で、字は升済、初名は豹。父の公孫延は、玄菟太守の公孫琙に仕えた。公孫琙は、早世した子が同じ『豹』の名だったため、目をかけて学問を援助した。
  2. 建寧2年(169年)、霊帝の有道の士の推挙に応じて、謝弼・陳敦とともに郎中に任じられたと『後漢書』謝弼伝が伝える。その後、尚書郎から冀州刺史に移ったが、噂を理由に罷免された。
  3. 中平6年(189年)、董卓配下の中郎将・徐栄の推薦で、遼東太守となった。『後漢書』袁紹伝は、中平元年(184年)とする。
  4. 遼東では、自分の出自を軽んじた地元の名族を、先に罪に問って、百余家を滅ぼした。
  5. 初平元年(190年)、中原の混乱を見て、側近の柳毅・陽儀に王位を狙う考えを語った。讖書の『孫登が天子になる』という語を、自分の字『升済』の『升』(登)に結びつけた、と記される。
  6. 海を隔てた青州東萊郡に軍を送って諸県を攻略し、営州刺史を置いた。遼東侯・平州牧を名乗り、父に建義侯を追贈して、漢の二祖(劉邦・光武帝)の霊廟を建てた。
  7. 高句麗と烏桓を討って、功績を挙げた。
  8. 曹操から、武威将軍・永寧郷侯を与えられた。しかし不満で、贈られた印綬は武器庫にしまい込んだ。
  9. 建安9年(204年)に没し、子の公孫康が後を継いだ。孫の公孫淵の代まで、遼東の公孫氏の支配が続いた。
  10. 『隋書』は、公孫度が娘を百済の始祖・仇台に嫁がせたと伝える。ただし、これは百済の起源説話で、公孫度本人の記録としては、確認できていない。

主な出典
『三国志』魏書 公孫度伝、日本語版Wikipediaの記述

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:混沌・悪

朝廷の官位を受け流し、独自の称号を名乗ったため、規律は低めに置いています。

地元の名族を先に罪に問って滅ぼし、独立の意志を語った記録から、動機は自分寄りの側に置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。