三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

傅肜

夷陵で殿を務め「呉の犬め、漢の将軍に降る者がいるか」と叫んで死んだ将

傅肜は、蜀の将です。222年、劉備が陸遜に夷陵で大敗したとき、別督として殿軍を引き受け、兵が一人残らず死ぬまで戦いました。呉の将が降伏を勧めると「呉の犬め、漢の将軍に降る者がいるか」と罵って戦死しました。息子の傅僉は四十一年後、蜀が滅びる年に陽安関で同じように降らずに死に、晋の武帝は「父子ともに、天下の善は一つだ」と詔しました。経歴は『三国志』蜀書「楊戯伝」付載の記述をもとにしています。

義陽の人。222年、劉備が関羽の仇を討つため呉を攻めたとき、馮習を大督、張南を前部とし、傅肜は輔匡・趙融・廖化らとともに別督として従った。閏六月、陸遜の火攻めで蜀軍は猇亭で崩れ、劉備は馬鞍山に退いてさらに敗れ、夜に逃れた。傅肜は殿軍として踏みとどまり、兵が死に尽くすまで戦った。呉の将が降れと言うと「呉狗、何ぞ漢将軍の降る者有らんや」と罵り、戦死した。蜀は護駕の功で息子の傅僉を左中郎とし、傅僉はのち関中都督となって263年に陽安関で戦死した。陳寿は「論者はその父子の奕世の忠義を嘉した」と記す。

THE WAY OF LIFE

傅肜の生き方

山が燃え、四十余りの営がすべて破られ、張南も馮習も沙摩柯も死んだ夜。劉備は馬鞍山からさらに夜の闇へ逃れた。誰かが殿を務めなければ、追いつかれる。傅肜が残った。

兵が死に尽くした。一人になった傅肜に、呉の将が声をかけた。降れ、と。傅肜は答えた。「呉の犬め。漢の将軍に、降る者などいるか」。そして死んだ。史書に残る、この人の言葉はこれ一つです。

四十一年後、蜀が滅びる年に、息子の傅僉が陽安関で、同僚に裏切られたまま降らずに死んだ。晋の武帝は詔を出した。「傅僉は関城で我が軍を身をもって拒み、死を顧みなかった。父の傅肜も劉備のために戦死した。天下の善は一つだ、彼我で異なるものではない」。敵の皇帝が、父子二代を一つの言葉で称えた。

持ち味と、その裏側

主君を逃がすために自分を捨てる覚悟と、死に際の一言が後世まで残る激しさ。一方で、史書に伝はなく、生年も字も残らない。この一夜のために記憶されている人。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜222年

荊州義陽郡の人。息子は傅僉。

  1. 義陽の人。生年と字は伝わらない。
  2. 221年、劉備が孫権の関羽襲撃を怒って東征し、呉班・馮習が巫で呉の李異らを破り、秭帰まで進んだ。
  3. 222年2月、劉備は秭帰から諸将を率いて夷道の猇亭に陣し、馮習を大督、張南を前部とし、傅肜・輔匡・趙融・廖化らを別督とした。閏6月、陸遜は兵に茅を一束ずつ持たせて火を放ち、張南・馮習・沙摩柯を斬り、四十余営を破った。劉備は馬鞍山に登って兵を集めたが、陸遜に四面から攻められて崩れ、死者は万を数えた。劉備は夜に逃れ、鎧を焼いて道をふさぎ、かろうじて白帝城に入った。
  4. この退却で、傅肜は殿軍として追撃を防ぎ、兵が死に尽くすまで戦った。呉の将が降伏を勧めると、傅肜は「呉狗、何ぞ漢将軍の降る者有らんや(呉の犬め、漢の将軍に降る者がいるか)」と罵り、戦死した。
  5. 蜀は息子の傅僉を左中郎に拝し、傅僉はのち関中都督となった。263年、蜀が滅びる年に傅僉も陽安関で危機に臨んで命を授けた。陳寿は「論者はその父子の奕世の忠義を嘉した」と記す。晋の武帝司馬炎は詔で「傅僉は関城で身をもって官軍を拒み、死を顧みなかった。父の肜も劉備のために戦死した。天下の善は一つだ」と称えた。
  6. 『三国志演義』第84回では「傅彤」の名で登場し、江南第四営を守って淳于丹を破り、馬鞍山では劉備を護って突囲し、丁奉に降伏を勧められて「吾は漢将なり、安んぞ呉狗に降らんや」と罵り、百余合戦って血を吐いて死ぬ。李贄は「傅彤は丈夫だ」、毛宗崗は「傅彤は黄権に勝ること多し」と評した。成都の武侯祠では文臣廊に塑像があり、龐統・簡雍・呂凱に次いで四番目に置かれている。

主な出典
『三国志』蜀書「楊戯伝」(鄧張宗楊伝)、「先主伝」、呉書「陸遜伝」、『三国志演義』第84回。経歴は 百度百科「傅肜」の記述も参照しています。

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:中立・善

殿軍の務めを命のかかった場面で果たしきり、「漢の将軍」としての立場を最後まで守ったことから、規律は秩序寄りに置いています。

自分一人なら逃げられたところを、主君を逃がすために殿を引き受け、兵が尽きても降りませんでした。自分の命より主君と漢の将としての名を取った人として、動機は利他寄りに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

診断結果の保存・共有

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。