三國志人物鑑 CHRONICLES OF YOUR SOUL

THE ADDITIONAL CHRONICLE

逸伝篇について

本編の108人に入りきらなかった人物を、あとから書き足していく追加篇です。ONにすると、診断の候補と人物図鑑に、逸伝篇の人物が加わります。

ONとOFFで変わること

OFFのときは、本編108人だけが対象です。ONにすると、診断の結果に逸伝篇の人物が出ることがあり、図鑑にも「逸伝」の一覧と「隠れた人々」が増えます。結果は、ONかOFFかで変わることがあります。

切り替えについて

この画面の上のスイッチで、いつでも切り替えられます。診断の途中で切り替えても、回答は残ります(結果の候補だけが、結果が出る時点の設定になります)。既読の記録は、ONでもOFFでも保たれます。初期設定はOFFです。

人物について

逸伝篇には、史書に記録の少ない人物や、『三国志演義』などの物語の中で知られる人物も含まれます。物語の人物は、人物ページにそのことと出典を書いています。人物像やアラインメントは、本編と同じく、本サイト独自の解釈です。

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CHARACTER ARCHIVE / 逸伝篇

傅巽

人を見抜く目で名を残し、劉琮に降伏を説いた荊州の名士

傅巽は、字を公悌といい、涼州北地郡泥陽の人です。前漢の傅介子の子孫で、堂々とした風采と広い見識を持ち、人を見抜く目で知られました。荊州で劉表に仕え、建安13年(208年)、曹操の南下を前に、劉琮へ降伏を説きます。魏では散騎常侍・侍中・尚書を務め、曹丕に「わが腹心の臣」と呼ばれました。龐統を「半英雄」と評し、魏諷の謀叛を予言した話や、漢のために泣いた蘇則をそっとかばった話が伝わります。経歴は『三国志』魏書 劉表伝とその注に引く『傅子』などをもとにしています。

北地傅氏の出で、立派な風采と人を見抜く目で知られた。荊州で劉琮に降伏を説き、魏では侍中・尚書を務めた。曹丕に「腹心の臣」と呼ばれた。

THE WAY OF LIFE

傅巽の生き方

人の器を見抜き、先を言い当てる。傅巽は、堂々とした風采の奥に、冷静な観察眼を持つ人物像です。

大軍の前で意地を張るより、主家と人々が生き延びる道を選ばせた。構想の高さと、挑戦の低さに、その現実を見る目を重ねています。

持ち味と、その裏側

人物を見抜き、言葉にして伝える鑑識眼。龐統・裴潜・魏諷についての評は、のちの出来事と重なりました。場の空気を読んで、危うい同僚をそっと止める機転もありました。一方で、劉琮への降伏の勧めは、荊州を戦わずに明け渡したとして、後世には評価が分かれます。

IN THE CHRONICLES

史実・物語の歩み(概略)

生年不詳〜太和年間(227〜233年)

涼州北地郡泥陽県の人。字は公悌。前漢の義陽侯・傅介子の子孫。父は代郡太守の傅睿、弟は傅允。のちの重臣・傅嘏は、傅允の子にあたる。

  1. 『傅子』は、傅巽を「瑰偉博達(風采が立派で見識が広い)、人を見抜く目があった」と記す。三公の府に招かれて尚書郎となり、のちに荊州へ身を寄せた。
  2. 荊州では、龐統を「半ばの英雄」と評し、裴潜はいずれ清らかな行いで名を顕すと言った。龐統はのちに劉備に仕えて諸葛亮に次ぐ扱いを受け、裴潜は尚書令に至った。
  3. 建安13年(208年)、劉表が没して劉琮が後を継ぐと、曹操の大軍が迫った。東曹掾だった傅巽は、蒯越・韓嵩らとともに降伏を勧めた。「楚の地を守って天下を見ればよい」と言う劉琮に、傅巽は「臣が主に逆らうのは逆、新しい楚で中原に当たるのは無理、劉備で曹公に当たるのも無理。三つとも足りない」と説いた。そして「劉備に曹公を防ぐ力がなければ荊州は守れず、防ぐ力があれば、劉備は将軍の下にはいない」と言って、劉琮を降伏に踏み切らせた。この功で関内侯となった。
  4. 魏では散騎常侍となり、建安18年(213年)の曹操の魏公への推戴や、延康元年(220年)の曹丕への即位の勧めに名を連ねた。魏諷が才知で名を集めていたころ、傅巽は「必ず謀叛を起こす」と言い、その通りになった。
  5. 曹丕が帝位に就いたとき、蘇則は漢のために喪服を着て泣いた。のちに曹丕が「天命で禅りを受けたのに、泣いた者がいると聞く」と口にすると、蘇則は自分のことだと思って、ひげを逆立てて反論しかけた。傅巽はその蘇則をつねって「あなたのことではない」と小声で止めた。曹丕が言ったのは、同じく泣いた曹植のことだった。
  6. 侍中・尚書を務め、衛臻が冀州刺史に推したときも、曹丕は「傅巽はわが腹心の臣だ。帷幄の中で策を練らせたい」と言って、都から出さなかった。明帝の太和年間に没した。『槐樹賦』『蚊賦』などの作品も残している。兄の子の傅嘏は、のちに司馬氏のもとで重きをなした。

主な出典
『三国志』魏書 劉表伝とその注に引く『傅子』、同 文帝紀の注に引く『献帝伝』、同 蘇則伝、『後漢書』劉表伝

Wikipediaで見る ↗

SOUL ALIGNMENT

人物像の分類:秩序・中立

情勢を冷静に量り、筋道の立った結論を選ぶ姿から、規律はやや秩序寄りに置いています。

主家と荊州を戦禍から遠ざける進言や、同僚をかばう振る舞いが目立つ一方、自らの立身もそこに重なるため、動機は中ほどに置いています。

このページの性格・人物像と生き方の文章は、史実や『三国志演義』の記述そのものではなく、本サイト独自の8軸と人物タイプに基づく読み物です。

ABOUT THE CHRONICLE

強さではなく、生き方を。

48問・8つの性格軸・108人の人物データを使用しています。回答の平均値と人物プロフィールの距離で順位を決め、知名度で優先しません。一致度は8軸の回答と人物データの近さを百分率で表したもので、科学的な確率ではありません。

アラインメントについて

史料に基づく人物像の解釈には幅があり、この分類は暫定的なものです。史料の記述と本サイトによる解釈を区別し、人物ごとの説明では分類の理由を紹介しています。人物ごとの出典の裏付けには差があります。Wikipediaのリンクがあることだけで、動機の解釈が確定するものではありません。

人物側は、個人・組織・他者のどれを行動の主目的と捉えるかを個別に設定しています。分類ごとの人数は、人物像の違いによって異なります。史実上の内心や善悪の判定ではありません。プレイヤーの回答は人数比に合わせて補正せず、そのまま計算します。プレイヤーのアラインメントは初期状態では非表示です。説明を読んで表示を選んだ場合だけ、画面・保存画像・コピーテキスト・Xの投稿文に含まれます。「規律」だけを秩序/中立/混沌、「動機」だけを善/中立/悪に対応させ、独立に判定します。3.25以上を秩序・善、2.75以下を混沌・悪とします。人物とユーザー診断には同じ判定範囲を適用します。中立は2.75より大きく3.25より小さい値で、境界の2.75・3.25は含みません。境界付近の人物は2.75・3.25で表し、混在する動機のうち本作で少し重視する側を示します。分類名の追加による加点はありません。

善=自分の損得と無関係に他者のために動くこと、悪=自分個人の利益のために動くこと。組織や家が主目的の場合、または主な動機を一方に決められない場合は中立です。複数の動機があっても、他者支援・個人利益のどちらが主目的か明確なら4・2で表します。ルールを守って個人の利益を求める「秩序・悪」、ルールを破って他者を助ける「混沌・善」の両方が成立します。実際の道徳性を測るものではなく、史実上の人物の善悪も断定しません。人物紹介は、人物タイプと8つの性格軸から読み解く、本サイト独自の人物像です。

収録は108名です。魏28名・蜀28名・呉28名・群雄ほか20名・晋4名で、勢力は魏・蜀・呉・群雄ほか・晋の5分類です。診断を終えた回答は、このタブのセッション内に保持します。サーバーへ送信しません。再読み込み後も「自分の診断結果へ」から戻れます。ブラウザが保存を制限する場合は再読み込みで失われます。再診断を選ぶと保持した結果を削除します。

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「善・中立・悪」は行動の動機を表すゲーム用の分類で、実際の道徳性を測るものではありません。

アラインメントは8軸のうち「規律」と「動機」の2軸だけで決まります。一致度は8軸全体で計算するため、一致度の高い人物と分類が異なる場合があります。

表示を選ぶと、あなたの分類名が結果画面・保存画像・コピー・Xの投稿文に含まれます。いつでも非表示に戻せます。